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2011年01月17日 Category : 砥石

 チョッポリ遅くなりましたがあけましておめでとうございます。今年は去年にまして運を切り札としてがんばります。
去年からの画像挙げます。

相変わらず運がよろしくって、右京区梅ヶ畑向ノ地町、いわゆる砥石の聖地で露天カブをつかまえまして、くされからどんどんよろしい板になる様を三連画像でどうぞ。
中世中山グサグサにあれとるよ。
中世中山向かって右にまくっていくと板がしっかりしてきまして、鍛えると無傷ですね!
中世中山イキナリむしろ肌登場!このお肌が出ますと、歩留まりほぼ100%3尺も動かずで、ガラリ変わります。運がよろしいに尽きます。

中世中山色々鍛えてみるものの、近い枚数目でサッパリ硬さが違う!理由は謎です。

中世中山挽き場建てるべしで遣り方中に山を切っていると発見。ちょっと見えてます露天株

Mid age Nakayama 中世中山コケのじゅうたんのうえを廃石トロッコで踏み散らかします。こんな感じで山を削って行きまして、株キャッチします。ALL人力なので大変!色々ありまして重機はだめなんです。

Mid age Nakayama 中世中山Mid age Nakayama 中世中山Mid age Nakayama 中世中山Mid age Nakayama 中世中山かわいい色で揃う戸前

Mid age Nakayama 中世中山来る日も来る日も土砂を谷に捨てに行くわけですね。これは早朝の朝もやの中

Mid age Nakayama 中世中山雪の降る日に挽いているとMid age Nakayama 中世中山
ひいたしりから凍ててきます。奥にあるのは芋入りの焚き火。なんと奈良の桜井から間伐に来ていらして、焚きモン天国です。しかし、地元の山師がいなくなったので80Kmも離れたところからよばにゃならんということは、困ったことと思いませんか?
外材が安いのはいいことですが、日本林業がペッタンコなんですね!
梅ヶ畑は北山杉絞り丸太とかお庭に植える台杉の産地ですが、いたるところで放置です。
絞りが放置でくびれになっていたり、台杉は放置で二股で10mくらいまで育ってます。
こうなってしまうと、焚物か足場丸太くらいしかならんです。。
こんなものでは、山から持ち出す手間が出ぬので、実質は山で朽ちるのみとなっております。
内地材が弱ってるので、好きなだけ切れると言うことで砥石は採り易くもあります。なんとも皮肉な話です。

DSC01615DSC01616DSC01617DSC01618
去年最後の仕事は良く分からぬ植木鉢作成・・28φ穴。ちょっと懲りました。

ここからは今年
Mid age Nakayama 中世中山去年から直してきた間府が、今年に出てくると全部落ちてました!。
落ちるもの落とさぬと、恐ろしくて坑木突けません。山城国は石が立っていて左右に切り分けて進むですが、L型に折れているところがあって、伏せのところが落ちます。それが全部落ちると粘土が出てきます。
Mid age Nakayama 中世中山伏せのところやや荒れますが、採れそうです。

Mid age Nakayama 中世中山転がしていた坑木の芯の部分だけ残って並んでたりします。棒のようなものがそれです。

Mid age Nakayama 中世中山年末の雪はまだまだお山には残ってるのです。先週末は30cmくらい積もったそうです。
今年の初板を撮ろうと思ったのですが、京都の宮大工さんのところにおいてきてしまいました。
間府採りで、5枚と変わらずで超卵色・赤・緑・赤環巻が入り乱れてます。硬さはなんと!1-5++くらいまでバラバラ。
粘板岩-頁岩砥石ではちょっと考え難く悩みます。これでは、伊予と同じようなばらつきで困ったします。
やはり初板でお勧めは緑板!!!。軟質タッチで石はまるで減らずの硬質!同時に粘りが規格外にあってたまりません。
かわいい緑板の初板を今月のプレゼントにいたしましょう!
明日がんばります。
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2010年10月04日 Category : 砥石

しばらく一生懸命ひきまして、 300はできた?とおもいます。
16-17日に多治見市の美濃焼き会館でのこぎりやさん主催の展示即売会に向け生産中。是非いらしてください。

16代のころ飛鳥の大棟梁がもっともお気に召したとききます。
どなたさまに感謝すべきかわからんくらい、私は運かよいです。おそらく永くは生きることはできんでしょう。別次元です。
あまりにも素敵過ぎて、私の枕元や食卓にてんこ盛りにして鑑賞しております。今度ばかりはゴリゴリ自慢させていただきまっしょうわい。

こんな感じの砥石様が選別手間はいつもよりかかりますがザクリザクリとでます。他に、鮮血赤ピン一色や緑板も出ます。浅黄は水没のところ にあるのでポンプ入れて電気引かねば不可です。
ホントは付け肌の姿もごらんいただきたいところ。 美しく揃うのです。
天井 戸前 なみと あいさ 敷まで揃うみたいですが、中山の上といえども、同様に巣板の勢いは煮えきっており弱く、巣だらけでサッパリ 使えません。
ところが、運がよいと僅か、巣なしもあります。他にピッチが遠くなって実用のものがあります。
敷きはガチガチで天は例のごとく灰色でつめで削れそうなものもあります。
色物もよく熱変性を受けていて、のうや巣が入ってしまうものもあり、品位は落ちますが、変性がよくかかるからこそ柾と木の性格付けが明瞭 なものとなり、柾からスポンジのように吸水し、そのかわりに木では軟質であっても信じられんほどによく弾くという具合になります。
研磨剤の配列も規則性を持つもので、硬いもので地を挽かそうとがんばっても到底無理です。かつ、不自然な研磨力を持つものもあります。
もう一点、肌から5厘から1分下がりに、本面があって、鍛えの段階で傷の予測精度も落ちます・・これで多くのマルシ(キズモミソチャン) が生まれてしまいました。
赤い帯や木目のように走る環巻も強い熱変性によるものでしょう。これは伊予の木目の生まれと同じようなものと思います。
熱変性が強度にかかると、巣板は散ってしまい没。全層に渡り傷と巣やのうができますが、板目のよいものに変性がかかると、原色系の色鮮や かなものとなり、黄板・赤ピンに梨地がちで環巻もはしり極めてよろしい板が生まれる可能性が生まれます。
何れにせよ、歩留まりはとても落ちます。付け肌整うものを500Kg集めても100取れれば最高でしょう。
そのかわり生え抜きもでるということで、大の極上にあたれば他のすべてが曇って見えることでしょう。山城国砥石全般にその傾向が色濃いで す。

特に中世の中山は、チップなど の現代工具では挽きやすく、削りやすくぶよぶよで粘りある特殊な原石ですが、硬さが拮抗するものである鋼などを布(木目)に当てると、黒 いくそがざくざく出てかなり硬い石に感じます。ダイヤで磨くと「大丈夫かいな??」と思うくらい柔いのです。
ということで、名倉掛りが非常によく、掛けた後では、硬さが信じられんほどに落ちます。H硬度表記をどないして書くべきであるのか?? とっても悩みます。
おつたえするには3+~5++というかんじで範囲表記にすべきだと思います。粒度や研磨力や研ぎ感なんぞ最上位で略でOKです。
新品ではダイヤ400-800#で面をあげたまんまですので、滅法柔く感じますが、しばらく研いで一度洗った後ですと、まったく別物の硬 さに感じることでしょう。
これらのエキセントリックな特性がほかのおやまにはないところで、危険な魅力でもあります。理由は謎です・・柾方向の結合がぬるいので しょうか?
失禁覚悟であたってください。

砥石は、ただの道具で消耗品の端であると考えてます。
芸術的価値のあるもの以外では、数がないからとか、色が卵色だとかの理由で工匠単価からかけ離れたような砥石については疑問に思います。
頁岩完成度(ページ状の石)、付け・肌の整然、熱変性掛かりの妙、傷本数、
品物にいたるまでの歩留まり、おおきさ で単価決めます。

石も木材の良し悪しを見るのと 非常に似たところがあります。
上の品位を量産できないとやりがいはありません。
原色系、黄色系、梨地の烈、環巻!潤沢に供給できるようになりました!!!!
工 匠方に上が適正価格で渡る日が来ますように。
山城國銘砥の中興の柱としてご愛用いただけるようがんばります。
下の石は、大好きですがこんなもんはただの道具です。私は大工仕事しませんので執着ありません。こき使いたい方がいらっしゃいましたらお 役立てください。よろしくお願いします。

ちょっとだけのせてみましょう。Mid. age Nakayama

  • mid age Nakayama12
    本巣板 紫入り レザー
  • mid age Nakayama11
    ほんすいたのくそ
  • mid age Nakayama10
    黄板 赤い梨地のくそ
  • mid age Nakayama09
    黄板烈なる赤い梨地 40わいど
  • mid age Nakayama08
    黄板梨地+環巻のくそ 六.八
    ザクザク鉄華爆発
  • mid age Nakayama07
    黄板梨地+環巻 ヤオイと思えばかたいんか~い
    悩 殺卒倒エキセントリック
  • mid age Nakayama06
    本巣板かたーい入り紫のくそ 
    一 番拿捕が難しい層。巣ありはそこそこあるけれども・・・
  • mid age Nakayama05
    本巣板かたーい入り紫巣なしでドン 40
  • mid age Nakayama04
    オレンジ板梨地 赤玉杢さすのくそ
  • mid age Nakayama03
    オレンジ板梨地 赤玉杢さす 40ロング
    小 さい梨地が銀河のように渦巻いて板となってます。美しすぎる色とつけ肌も大極上。
    近くに寄って見るほどに素敵であると気づく!毎日ガン見してしまってます。
  • mid age Nakayama02
    変態卵板烈玉杢のくそ
  • mid age Nakayama01
    変態卵板烈玉杢 付け肌特に芸術点高し
    頁 岩ピッチ烈に密。杢が使用の度に模様が替わるほど!!!頁岩完成度得点の最高峰!!!柾目に沿って変性がかかって黄板と 赤の交互目となるために、玉杢模様が垣間見れるのでした。
続きを読む "中世中山 300は挽きました"
2010年09月15日 Category : 砥石

先日の日本テレビ ミリオンダイスの包丁砥石の件、チョッポリ30秒でしたね~。穴の中は5秒??
撮るのは30分以上だったんですが・・まぁこんなもんです。
金物マガジンのVol21の穴の中の写真も今回のTVもLEDの1200mm管1本でフラッシュなし!!なんです。カメラの性能がいいのか?ちょっとわかりませんが、明るく撮れるじゃありませんか!!
一度使うと、穴の中ではほかは使えません。おためしあれ。
伊予の硬めのもので、徳井さん??が上手に研ぎなさってあれだけうまい事切れれば、こさえがいがあるというものです。
ほとんどの、白鷹先生の包丁も伊予仕上げっぱなしです。
テレビのダイジェスト?はこちら。http://www.ntv.co.jp/dice/contents/contents090201.html
焼いてくれと、ご希望ありますが、白鷹先生シリズと同じ名目でOKでしたらお送りします。
金物マガジンVol22白鷹先生登場もご希望の方お送りします。

ホントは盆過ぎにがんばる予定であったのですが、暑さで気力が殺がれてしまい、先延ばしの繰り返しでありました。
そろそろ涼しいので、砥石山調査再開できました。
昨今の、山城国砥石こと京都市右京区梅ヶ畑算出砥石の売れ筋傾向としまして、硬いのはイヤンという感触があり、やや軟で細かいものというものをカジルべしと、暇を見ては探しました。

軟質といえば、裏の大突あたりの天井巣板か、音戸山圏の鳴滝、近世以降の中山の大幕路頭から上に上がって桜から車口が主です。
それ以外は大概、包丁とぎなどの大きい市場向けには硬めで難色であると感じました。

ところで、戦中までは十六代が細めに採取し、挽き場を構えていたのが中山の呼称発祥地で言わば中世中山があります。
現在の近世中山擁する、梅ヶ畑向ノ地町の北部から猪尻町にまたがるところに、位置します。
中世のころ、菖蒲谷に次ぎ鳴滝・大突ガ始まり、中に(それらに挟まれるところに)ある山の始まりがここにあたり、「中山」の呼称を得たのです。
近世以降は地の利にさらに優れる南にくだり、巣板の層は弱りきってしまったものの今ではこちらがよく知られます。
近世中山もかなり南北と少し西に範囲が広いですが、僅か北直近に中世盛んであった場があるということになります。

戦後、界隈が開発され山自体も取り潰されの予定でしたが、紆余曲折ありの山地として少し残ります。
本間府は大突の400mに迫る長さといわれ、隣町のあるところまで貫通するほどとりきったものもあります。
奥殿川の下まで潜る物もあり、当然敷き巣板(本巣板)もあったと聞きます。
中世から採取されるので山の形がすっかり変わるほどで、路頭も多くいろいろなところでいろいろなとり方がなされ、おもしろいです。

極めて軟質から、中硬まではありますが、川に下ったものはおそらくかなり硬くなることでしょう。
山6合目より上はよく風が入り、原色黄色から赤が多めで、梨地が多く飛びます。
中山らしく縦に割れよいので、歩留まりは厳しそうです。
3jf1yjrvドクドク原色な路頭の石。過度に軟質。つめで削れる。アウト。
何枚か追えば硬さは上がる公算。
t2y7mbelこのお肌が見たいがゆえに、山城国産にこだわる方も多かろう。
路頭路頭。中山らしく立つ石です。左右にまくって進軍します。それで、中山のダイナマイト使用は、砥石本層にかかれば皆無であったそうなです。一路菖蒲谷目指して延びます。
試堀坑1南向き、内部石は東西に走る。断層でちぎれたもの狙いと思われる。
試堀坑2同じく南向き。粘土破り!!破ると砥石であるのを見越すが、見事にゴクドウモノ天国でした。おおハズレ。
goc90mz2携帯のカメラしかなかった。暗い。
773foel0粘土破りからおそと
本坑石垣本坑の石垣は抜群に健在。付け肌見る限り特級!!
垣根にするにはもったいなや。?
綺麗にして枠を組み直しせねばなりません。枠組むときやゴモクのかしのときはホントヘルプ求むです。

最後はアド、
伊予の間府内 LED SMD 4W*2
30cmのちびLED二個、5mおきのすずらん配置。
これで上等明るい!
フラッシュなし。

60cm LED SMD5060 26φ管 蛍光灯60cm LED SMD5060 26φ管 蛍光灯
山奥の街灯ひとつないところで点灯。石ミの中の砥石から1.8m高さに吊り下げ設置。一人の作業範囲では昼間のような明るさを実現!
写真はフラッシュ無しで撮ったままでの無加工。円高なんで負かる!

60cm LED SMD5060 26φ管 蛍光灯
そのときのみの中の石の拡大。これで石のねじ取りできる明るさで、夜勤し放題!
暑い日は夜勤に限る!

和釘、喚鐘つり金具 和鉄製輪鉄!蹉跌と木炭で冶金した古来の製法でできた鉄!
1880年ころの錬鉄=銅と等価どころの価値ではとてもかえない。プライスレスのレアメタルです。
白鷹先生にお送りしました。何ができるかな?ですね。
Jの字は、釣鐘を吊るやつで、ボルトがなかった時代のもので、楔をかんぬき状にさして固定していたのです。
曲がり部分は当時溶接もないのでタンセツしてうまくつけてます。
かさのはる和鉄は、超ウルトラスーパーレアでした。文化財関係のお役所が大概かんでくるので、ほとんどが没収されてしまうのです。

habatan mutoutei仲間の大工さんがんばってます。明石大橋の真下です。

舞子公園 旧武藤邸舞子公園 旧武藤邸舞子公園 旧武藤邸舞子公園 旧武藤邸舞子公園 旧武藤邸舞子公園 旧武藤邸舞子公園 旧武藤邸舞子公園 旧武藤邸舞子公園 旧武藤邸舞子公園 旧武藤邸カネボウ創始者の家らしい。県文化財洋館

スレッドテーマ:文明・文化&思想:学問・文化・芸術

2008年08月05日 Category : 山城銘砥

AttributionNoncommercialNo Derivative Works
 京都の本山の天然砥石の歴史について中世時代、本間籐左衛門という郷士が菖蒲尾崎で砥石を発見したことが発祥とされ、間もなくして鳴滝の砥石山も発見され、その間にはさまれた形である砥山は中山と言う一くくりの総称を得ました。
北西端である菖蒲尾崎から、南東端である鳴滝までの砥山全てを本間一族の山と言う意味合いの本山として呼ばれました。これが当初の持つ本山の本当の意味に当たります。
刀の時代の開花とともに内曇砥石をはじめさまざまな砥石の需要は高まり、その時々のお上に擁され幕末まで大きな権力を有していました。
盛者必衰といういわれが当てはまらぬ稀有な一族であると思います。刀を廃す近代に入り、砥山は人手に渡り所有者が複数に上ったため間府にはっきりした色々な名前が付いていったと聞きます。
たとえば現中山はずいぶん縮小して、長刀坂近辺までの梅ヶ畑向ノ地の無数の間府郡を指し、それぞれの砥山にも複数の採掘鉱が存在し、坑道で、他の呼称の山とつながってしまっているところも少なくありません。

 現在、梅ヶ畑で砥山の仕事に従事していた方で尊命である方は、師17代山本氏と中山で採掘されていた方1人のみであると思います。
初代である仁衛門さんは、御所の大工であり、梅ヶ畑に移り住んだのが始まりと聞きます。
15代常次郎さんは、明治の方。一族の方が多くの本山の間府に赴いていたと聞きます。
16代長寿さんは今の中山横のクリーンセンターに大きな工場を構えていたとききます。
中山北猪尻山、白砥より菖蒲谷東一帯及び東にしばらく飛んで原谷(旧斎場の傍)、はるか南の宇治田原で尽力。
文化的志向強く、多くの日記と砥石に関する覚え書きを遺し、戦後間もなくのころ奥殿と表大突の間に挟まってある白砥(山)の色物を台としたかわいらしい札の置物を誂えになり、この大きなものが菖蒲谷池のほとりにかつては掲げられていました。
これは、親方にいただいた16代のもので、私にはもったいないすぎるものであり何物にもかえがたい宝です。
Yamashiromeito
札にはこう書かれています。
 --
菖蒲谷銘砥
古くより「砥は王城五里を離れず帝都に随い産す」と言う諺がある菖蒲谷一帯は平安の昔から今に至も高雄砥石の産地として名高いその名は内曇又は浅黄と称して誠に天下一品これほどの銘砥は他に類がないと言われる程有銘砥である現在でも山中に採石の洞窟が至る所に点在している
山城銘砥
 --

他には、鳴滝の採掘に尽力されましたが、170m以上掘っても福王子神社の遍照の額の原石が最大で、小石ばかりでずいぶん大変だったと聞きます。
刀剣の地肌磨きようの木っ端とか砥の粉にしか向かないものばかりであったということは、こういった経緯によるものです。それで、鳴滝=水車小屋として知られてました。
戦後間もなく閉山し、跡地は公園になっていたりします。
これが、正本山の南東の端に当たり端だけに鼠の尻尾のような鉱床であったということになり、谷はさみひとつ北西の中山でも尚、巣板はやせ細り巣だらけで力なく、合わせ砥が良く肥えてきます。
中山を冠する=特級品と言うのは大きな誤りです。
また北西の長刀坂をはさみ、紅山や猪尻山では巣板も肥え始め、更に上がり勘敷や奥殿で巣板が良く肥えました。
尾根をこえ、北西の尾崎では、全てが良く肥えますが、巣板に少しかげりが見え始め、そのまた北西の尾根斜面に面す穴の谷では、中山と同じように巣板がやせ細り巣だらけになってます。
要するに、巣板が痩せると鉱床は消え行き、その本山の鉱床は山城國梅ヶ畑にたすきがけに掛かる連続的大鉱床であるといえます。

 本山という大鉱床がひとつの大きな高級な反物ばかりしまいこんだ箪笥であり、各山の間府はその引き出しであると考えていただくといいのではないでしょうか?
巣板に手が届きやすい間府であったり、色物に届く間府であるといった傾向は確かにありますが、原石に見る各層の特徴は判断つけがたいものであり、総じて一貫したいくつかの特徴はあります。
その一貫した特徴に合致出来た板が本山を謳うに相応しく、間府名=産地と考えることの意味が薄らいできます。
要件を満たしたどの層からのうまれであるか?が重要ではないでしょうか?
引き出しから取り出せるものが、狙いのものなら、中身は概ね同じものが横たわってますので問題ないということです。

 最近特に16代の時代の砥石を間府名名指しで多く目にしますが、果たしてそれは現実的なのでしょうか?嫌というほど「コレは誠か?」と質問されます。
うなぎや牛のようにはっきりとした根っこは闇の中・・・皆様もお気づきの通り、昨今の産地問題の伏魔殿としてはこの上なき環境であるかもしれません。
と言うことは、ご自身の眼を良く養い信ずるほかないと思います。
何点か、眼になればいいなと思うような職人しか知ってはいけないことと言われていることを、これからも暇を見て公開していきたいとおもいます。
誂え手、売り手、買い手全てが合同の情報を有していてもそろそろ良い時代ではなかろうかと思います。
山城銘砥は、そこに住まう歴代の先人が色々な間府という引き出しを見出し、膏血振り絞り集めてきた、かの大鉱床の原石であることは言うまでもなく、正直なところ生まれをピンで指し示すことも可能です。
しかしながら、いったんピンで指せば疑わしきピンが連鎖発生させてしまう可能性は先人にも買い手にも非常に失礼な話であり、残念なことです。
それで、16代の標である山城銘砥として師17代の知恵と経験を糧に鍛え上げさせていただき、原石より砥石を迎える事とします。
全ての正本山の本質と品格は実直にその裁断面に見ることが出来、他にもいろいろ眼の手がかりは隠されています。
買い手には知る権利があると言うよりもむしろ、知らねばなりません!
挽き肌の魅せ方に徹底し、なるべく挽いた後に研磨を掛け、良く観察できるようにしていこうと思っています。
側面全てが原石まんまの物は失礼に当たり、なるべくどこか一辺でも挽き上げて、層の積み方や育ちを観察できるようにしたいと思います。
鍛え肌や原石の皮や付けはなるべく残し、これらへその緒的な物も共に見せて魅せることが出来ればいいなと思っています。

 しばしば、師17代や中山の退役職人さんに「見てもらってくれ?」と託されることが多いですが、専ら大笑いされて終了と言う感じで、なんともやるせないです。
結構、託していただいた方に返す返事に気を遣い、くたびれます。

いろいろありますが、なるべく真面目にがんばります。
よろしくおねがいします。

ピンで指しませんよ、フフフ。AttributionNoncommercialNo Derivative Works


大きな地図で見る

2008年03月12日 Category : 砥石

山城國梅ヶ畑向ノ地に位置する中山は、地名では現されないのには、鎌倉の世に鳴滝音戸山付近と菖蒲谷尾崎や大突等に次いで、発見された砥山であり、中にある砥山がそのまま中山と呼ばれるようになり今に至るのです。
時の権力者に献上され、万国博覧会に登場等名実共に素晴らしい軌跡を持ちます。
他の砥山はそのまま地名か見つけた方の名前等が付くのが大方です。
中にある山と言う大まかな呼称は、今で言う五千両・長四郎・高山・宗五郎・裏大突・巣板口・穴の谷・マキバ山・尾崎、等々今では高雄パークウェイで埋まってしまったところも丸めて菖蒲谷近辺の砥石ということで菖蒲と称されたこととも似ると言えるかもしれません。
音戸山と谷を挟み対峙する向ノ地から北は長刀坂付近、西は木津山付近にかけてかつては名もない穴だらけと聞きます。
特に長刀坂向いの猪尻山近くまでトロッコ索道跡があります。このあたりに北中山と呼ばれる間府もあったと聞きますが、樹木が繁生し苔の載った廃石のほか見る影もありません。
時代を遡るにつれ、名もない間府が集まり中山の勢力範囲を大きく掲げてていたと聞きます。

平成に変わろうかと言う菖蒲の最期の頃、宗五郎に一本化されたのと同じような感じで、昭和の終わりの中山では、尾根がせり出して延びてきたその斜面に沿って三種の高さで間府が開いており、尾根とほぼ平行に掘り進み、時には300m以上掘ったと聞きます。地形状の立地のよさも重なり大どれし、間府により色々でます。


親方と鎧組みした水間府を見に行きました。13年でここまで腐ります。
加藤さん縁の方のおうちに通して頂き裏手に出て水間府へ。
水間府は、職人間ではとも呼ばれ、昭和の中でおおどれしたもの。入り口から30枠ほど入って、30度くらいで急降下して奥殿側の走る谷あいの高さをはるかにしたをくぐります。
水が良く溜まるので、散水の水源として転用され、杉の間伐材で坑木を突き直したため、崩落は間近。
本来は松の株タで突きます。
現在中山で採掘されていた職人さんは、お一人しか存命でないと思います。
それには訳があって、高雄の砥山で働く職人さんが高齢になってくるなどで弱ると、親方に「中山送り」と言われ、薄めの板で皮けつやツケが明瞭で採掘しやすく立地にも恵まれた中山でさいごを過ごしていたと聞きます。
二寸超える原石は、殆ど見なかったと聞きます。ツケのピッチが狭いのですが、本棚みたいな非常に美しい板なりです。しかし、厚い品物は妙に多いような???
昭和の50年代に露天でひっくり返して採掘終了。
高いところから、大幕水間府)と呼ばれ、戦後のものはこの三本立てであったと聞きます。加藤鉱山ですね。
は、中期で終了し、間府おくの下り口には今もウインチが放置され大きなポンプと出水菅が横たわってます。

大幕は木津山の方角に西に掘り進み、間府は崩落。
色物の硬めのものと、浅黄も出ました。

は露天と西方向に進む間府があり、刀剣地艶・色物の逸品などとれ、硬さもいろいろ。
大きながあって、春は酒盛りの場であったそうです。

巣板の勢いは極弱く薄く、巣だらけで二級品が多いです。
研ぐたびに石の模様が変わるれいの石です。

北中山は見る影なし。
更に北の猪尻山は殆ど住宅地と化してます。


手挽きの鋸と簡易お勝手。
間府横の作業小屋、間府より出でてここで製品になったものが、マルカの正規品として世に出ていたと聞きます。
う~ん黒電話。
右から・猪・大幕・上は猪
猪の赤めの色物の赤い梨。未体験のずば抜けた石でした。

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