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2010年12月15日 Category : 砥石

 おひさしぷりでございます。
つい先日、先生と懇意になさる方が、お掃除をなさる際に軒下より、砥部の外山産の伊予砥さまが出てきたとのことで、何故か色々いただきました!!

いただきついでに、今年も皆々様よりいろいろな食べ物やもろもろいただきましてありがとうございます。おかげさまで益々ムチムチです。
11月にきういモギモギいたしました物お送りさせていただきました。
じつはわが伊予の親戚は今年からあるきうい全日本の品評会で優勝いたしまして!!ニュージーランドから来たBossに表彰で首都に招待されたのでした。そのときのきういのとろふぃ~とかきうい時計が置いてました。
いわゆる一つのオンリーワンな、きういjapanです。愛媛の真穴の24個6000円近くするおみかんも真っ青?!?
謎々砥石なんぞより、きういJapanのほうが美味しいはずです。
お手数なのですが、「まだもろてないぞ」という方は、「コノ恩知らず!」とご連絡ください。

さて本題。

伊豫砥 外山産ダブルクリックしてFlickerにたくさん落ちてますので参照ください。
いつかの金物マガジンの表紙の間府が、古墳時代から続く外山で、ここから産したもの。
唐川産のものは、もっと荒くってふわふわで、朽ちてだめになってたそうです。

私が取るところは、もっと中の結晶が細かくて、赤星系統は煙硝にあたるものとおもわれます。
粒度や結合度も同じものも多々あります。
外山のものは赤星だけ少し持ってましたが、いただいたものは全体に硬く、細かいとおもいました。
これより荒いと、軒下にある間に朽ちてしまうのでしょうか?

挽き方をみると、ぞっとしますね!
伊予はなんと言っても鋸食いです。
全鋼鋸・よきはつり・手挽き鋸の三通りの挽きはだが確認できました。
全鋼は、都度目振りして+目立てかつ、あさりはばかなり大きいかもしくは、熱よれで引き肌波打ちます。
それで挽きかさも大きくなってその分切れやむのも早いことになりまして、目立て方+挽き方がコンビでお仕事ということもあったそうで、「そりゃぁ採算割れしても仕方あるまいヨ」とおもいました。
人造の台頭に加え、おみかんブームがやってきて伊予の中岡氏もおみかんに転じたのでした。
かつては、シトラ箱いっぱいで、道後で一晩ドンチャンOKだったのですが、今のおみかんは、オレンジ輸入自由化や果物の多様化などでここで書けぬほどのお値段なのです。伊予もかつては株制度とか長男以外に砥石の仕事はさせぬほどの、花形産業でした。
時勢により、産業の浮き沈みは仕方のないことで、利潤が追求できぬということは、どんなに伝統産業に歴史的な価値があろうと、残念ながら廃れてしまうのかと思います。

伊予をあつらえするのは正直なところ、いまの挽き方を以ってしても粘板岩砥石の2倍以上手間食います。
そして、鋸食いです!!身幅1.5mm程度まで絞ったいわゆるガラスの鋸でも、食われちゃいます。
食うということは、その分研ぎ研ぎパワーに満ち溢れているということでしょうから、暗に憎めないでいます。

それで、挽き肌を見てしまうとついつい、昔のあつらえ法での原価計算とかそろばんぱちぱち連想してしまいまして、本当にゾッとします。モチの論で、昭和の道具しかなかったならば、伊予なんて近寄りたくもありません。
こういうお肌を見るたびに、手を合わせて拝みたくなるのでした。

今度ちゃんと挽き肌についていろいろご報告させていただきたいと思います。



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2010年08月15日 Category : 未分類

やや記事サボり気味で申し訳ありません。まとめて書くつもりでしたが、暑くてやはりさぼってしまいます。

つい先日いきなり日本テレビさんからお電話いただきまして、包丁を一から作って最後にお山でとってきた砥石で、仕上げる企画で取材協力のお話しいただきました。
初めは正直、おいたであると半ばおもいつつでしたが、ちゃんと東京の局に役者さん用の砥石を送るようご依頼いただきまして、コリャタイヘンたまげたということでした。
TV局に嫁いだ伊豫砥石2000#位の粒度で上の質が欲しいとのことでしたので、ハエヌキ4本お送り!
4つとも性格が違います!
金物マガジンをご覧になったのではなく、どちら様からのご紹介かは、見当もつきませんがとにかく、ありがとうございます。
古代砥石が電波にのっかるのは、木曜の19時からの番組で、いつOAかは知りません。

それで誠に申し訳ありませんが、16-17日まで、またしても取材で伊予に行かねばなりませんので、荷出しできません。すみません。
たらい舟で佐渡を渡るこころみとかかなり無茶な挑戦とハードなスケジュールな番組なようで、お楽しみいただけるかと!
ただ、私はサイコロふりふりさせていただけぬとのこと・・・あぁ、砥石職は影の職なんよね!?

いずれにせよ、昭和に絶えた古代砥石を企画に参画させていただき、これが伊予の中興の一助に繋がるかもしれないのであればもうおなかいっぱいと、思います。
ご迷惑おかけいたしますが、ご理解のほどよろしくおねがいします。
2010年06月15日 Category : 砥石

YouTubeよりお遊び動画一本です。

リストカット一応QRコード
編集なしで一枚撮りで、ちゃんとホントの動画です。
段ボール:二層貼り合わせ式のみかん用ゴツゴツ厚手のもの
新聞:朝刊40面五回折
伊豫砥:木目だけど硬質目〆、軟質こめどちゃん貼り、研ぎ水なし
カッターナイフ:再研磨20回以上、もうヘロヘロ。刃先二段折り飛ばし済み
Iyo 伊豫とカッターナイフ よく使う刃元がこんなに減ってるのでした!
Iyo 伊豫とカッターナイフ 参考的な小刃の角度はこんな感じかと思う。

皆様にお引き立ていただきまして、毎日梱包大会をさせていただいておりまして、カッターナイフの疲弊度が半端ではありません。まことにありがとうございます。
それで、腐っても砥石屋なので研ぎながら大切に使います。
カッターナイフはガラスに傷がつかない程度で、折ることができる硬さを持つ鋼なので、簡単に研ぐことができます。

けれども、パリパリの天然仕上砥石で上げてしまうと、初めはよく切れますが切れ味の落ちもちょっと早く感じます。
ウエッジ全体が、摩耗するので、鋭利なものをつけてもどこかに退いててしまうのでした。
木工刃物をはじめとするウエッジ依存の切れ味の場合、鋼の硬さと粘りがないとウエッジが退いてしまうので、ほかの仕上げ方を考えねばなりません。

決定事項は、ウエッジがすぐ退くということです。
切るものは繊維質。木とか紙などを考えます。
イメージは、パン切りナイフ。
連続する弧を描く刃先の形状で揃えてみようということです。



これこれ!
同じ考え方は、畳包丁とかやり鉋とかにも。
中砥仕上げっぱなしというものです。
円弧が磨滅でなくなってしまうまで、被切削材の繊維をガッツリとらえちぎっていく。
鋸みたいな感じです。
これだと円弧の高さが磨滅するまでは繊維を捕まえることができて、引きの一手で切れるということです。

ここで、ダイヤモンド砥石でやると恐ろしいほど永切れしません。
条痕の断面形状が V だからです。狭くて鋭角の深い傷は、ガラスカッターの傷と同じものですから、ここに応力がたまって破断します。直にネズミのボロボロ刃を確認できると思います。
ここで、伊豫砥をはじめとする天然中砥石で U の字形状の浅いけど幅広で円弧を描く条痕を作ります。
丸のこの刃のスリットの終点を丸で抜くのとかユンボのバケツに丸で抜くところがあると思いますが、これは丸のところで応力分散させて破断させにくいようにわざわざ丸で抜くわけです。
これをもうちょっとだけ小さい世界で実現させてしまうわけです。



天然砥石のアドバンテージなんぞこれに尽きるといっても過言ではなかろうと思います。
Uの条痕の連続体で、パン切りナイフ様の刃先を持たせ、繊維をとらえつつ、折れ欠けしにくい条痕形状。
硬さも木工刃物ほど本格的なものでなく、磨滅が早いのでウエッジ形状に小刃(二段の角度を持つ刃)を持たせ、多少の切れの軽さと引き換えに磨滅に抗う力を持たせる。

ところで、カッターも木工刃物クラスの硬さを持たせるといいじゃぁないか?と思ってしまいますが、そうもいきません。
全鋼で薄いからです。それで簡単に砕け散ってしまう脆さも孕んでしまうということになりますから、いまのようなバランス型の感じじゃないといかんということなのでしょう。
ただ、替刃のこぎり衝撃焼き入れものは、刃先だけ木工刃物以上の硬さを持ちます。後の部分はなまくらで折ることもできなくて、ふんにゃりとまがってしまいますね!?

偶然といいますか、カッターナイフの刃の鋼と伊豫砥仕上げっぱなし刃先と適正なウエッジの角度があると、実によく切れます。
そして、永切れしてくれます。
いったん切れなくなると、急激に切れ止みます。
これが竹を割った性格というか、面白いほどにはっきりしてます。
おそらくは円弧の底まで磨滅が至ったんでしょうね。
そういうわけで、そこに至った時には、ウエッジは実に良く潰れ切ってますので、動画のようなことをしても何ともありません。
しかしながら、角度と刃に対する条痕の走る方向(石に対して直角にがんばること)さえ気を付けて、あんなに手短に伊豫でウエッジ再生しますと、二層式のみかん用ゴツゴツ段ボールがこんなに爽快に刻むことができてしまします。
ちゃんと水打ちしてまじめにやると、もっともっとおいしい切れ味になります。

木工刃物しか研いだことのない私にとって、こういった鋼の質がいろいろあるような、たとえば包丁の研ぎ方というのは、脅威的に難しいと感じます。
カッターもこの類です。
初めはわからないもんですから、一生懸命大工的な感覚で研ぎはしましたが、徒労に終わったものです。
カッターでは、実用にとても満足のいく研ぎができたと思います。このときの「ヤッタゼ!!」感はいくつになっても楽しいものです。
さいきんまで、片刃の木工刃物を、ピリピリに神経をとがらせて研ぐというのが、研ぎの世界だ!と思ってましたが、そうでもなさそうです。
10円もしないカッターでも、うまく研げて性能が復活した時の感情というのは、 稚拙だとか高尚だとか区別することなく、同様のおもしろさがそこにはあると思います。

いずれにせよ、1枚が10円もしないカッターの刃を研ぐことでもそれは立派な研ぎものであると思いますし、現在の使い捨ての考え方に傾倒してしまった世から、リサイクルだとか繕いの精神がようやく価値あるものとして再び地位を取り戻さんとする今日においては、もっとも流行の最先端に載ってやったゼ!!というある種の誇らしい感情を抱きながら研ぎを楽しめると思います。
伊豫砥とカッターナイフの刃研ぎの相性。。。揶揄するなら古代道具と現代道具の相性について考えてみる滑稽で非常に顕著な事例であるとも思います。
30億キロ離れた星の砂を持って帰れたかもしれぬ!という時代でもなお、古代の我々の祖先が地産地消で集め始めた石ころころで、今風の豊富にある刃物でお手軽で実用的な研ぎものに挑戦できるということです。
ここはひとつ、古代道具を操って現代道具のお役にたてるという証明を是非皆様方にもお試しいただきたい!
現代量産刃物から工匠具まで幅広い門戸を持つ、古代の砥石というのが伊豫砥の一番のうりです。
敷居の高さなんてあったもんじゃありません。へこんでるようなものです。




スレッドテーマ:宇宙・科学・技術:学問・文化・芸術

2010年06月09日 Category : 砥石

正直京都粘板岩を挽いて誂えるほうが時間あたりたくさん出来ます。でも伊予は挽きます。
京都粘板岩砥石は中世砥石で古代砥石に
伊予などの火成岩変性砥石がふくまれるからです。

わが国は、世界遺産と呼ばれるような世界最古の木造建築を擁す国家として世に知られるわけですが、これはとても不自然極まりないものだとは思いませんか?
よく大工さんのお仲間で、日本人は優れた民族であるとか器用であるとかいいますが、法隆寺や四天王寺は渡来人が・・・
だったと思います。
よく日本固有の何某で云々と言われますが、元々は舶来の建築で、当時の偉大な工匠が建築にはとてもきびしい日本の劣悪な気候風土を見越して、当時どこにも無いような軒のふかさだとかを見事に成し遂げて、これが国風文化時代を経て日本の建築へと呼ばれるようになったものだと思います。

差し金は大陸から聖徳太子が持ってきたという話は聞いたことはあると思います。唐尺の目盛りとかありますよね??
大陸から見れば圧倒的後進国で文字も漢字の当て字をかろうじて使いはじめたような国内で、どのように工匠具を調達したのでしょう?
火山国である日本は多くの火成岩の変性物を擁し、文献によると各都道府県にひとつは砥石が産していたようです。
その多くは火成岩もしくは凝灰岩系です。
古代藤原京のちかくの橿原の耳成山に伊予によく似た砥石がでたと、白鷹先生はおしゃってました。
確かおととしくらいの薬師寺の西岡棟梁をしのぶ会での来阪の際に橿原に「砥石さがしに寄り道してきたわぃ!」
と、おっしゃっておりまして、たまげた記憶があります。似たようなことは一度だけならず幾度かありました。
先生も古代道具を復元する事にその人生を賭してきたのです。古代銘砥をお探しになるというのは当然の成り行きであるものなのでしょう。
その時です。私が、「伊予できばらにゃどこできばんるんゾ。」と強く思ったのは。

平城京遷都後、伊予の砥石は都まで登っていた記録があり、1500年前の古墳時代では瀬戸内で流通していたと聞きます。
平安遷都の後、京都の粘板岩仕上砥石は発見され、
中世鎌倉期に本格採取されたものでしたから、先生と西岡棟梁が復元させた道具というのは、当時では変性火成岩系の砥石で刃をつけられていたと考えられます。

鉄器において日本は最後発国にも関わらず、大陸にない軒の深さと精度の高い製材と仕口を実現させたのはやはり、鉄器に硬度や粘り及び精細な刃付け を可能とさせるような何かが働いたことがその起点であったとおもいます。もちろん建築にとって劣悪な気候風土を凌ぐという思いもその原動力であるとおもい ます。
われわれも古代人もそうはちがわなくて、手と足が二本ずつですから、出来上がるものの違いというのは道具の違いによるものが大きいと思います。
より硬く、より粘る当時の世界のどこにも無いような屈強な鉄器を生み出すには、もちろん性能の高い砥石で研磨加工出来なければ実現が困難であることは、人造砥石が無い時代のことですから、当然決定事項であったといえます。
古代において、世界規模での消費財の流通はまだまだ現実的なものではなかったので、鉄器の性能を支配するものは、
その地に産す砥石の性能に委ねられ ていたのであろうと思います。
砥石の性能は、鍛冶師のよりよい道具つくりへの挑戦心をメラメラと休むことなく焚き付け、よい工匠具は各分野の工匠の思いやひらめきを実現ものとする手助けになったものと考えてます。
その積み重ねにより、建築、鉄器、文字など圧倒的に後発に加え、台風、多湿と地震が多い建築にとってよろしくない環境であるにもかかわらず、その逆境をはねかえし、 世界最古の木造建築を擁す結果になったものと思います。
もちろん刃物においても同じようにいまでは世界屈指の性能を誇ります。
少し前までの時代において鉄器を加工できる唯一の道具であった砥石は、古代奈良朝において宝石を数える単位である”顆”という単位が充てられており、如何に貴重なものであったか窺い知ることが出来ると思います。

京都の粘板岩砥石の発見後、刀の世になるわけですがこの砥石の作り出す仕上がり肌のうつくしさと切れ味は、わが国の刃物の品位をより引き上げてくれたもの と思います。
切れ味を持たせるということは、当時では武力につながることですから、砥石には産業的だけでなく軍事的にとても重要な資源でもあり、確か伊予山間部は法隆寺の寺 領に属していたころもあったり、山城国(京都市内)の砥石山は幕府直轄としていたようです。

砥石山は国益に係る替えがたい文化、産業、軍事における発信地であったという見方ができるのではないでしょうか?
資源がない国となげきがちですが、砥石資源においては地震、火山に多く見舞われてしまう代償と引き換えに神がかり的に溢れているもので、これもまた平凡で あるなら、日本は現在のような独特の文化などはなくて、もしかすると、どこかの国の一地方として属しているのかもしれません。

白鷹先生や棟梁のものの考え方は1000年佇む建築が既成事実として佇む以上、不偏でありとても尊いものと思います。
伊予は国の興りから昭和のおわりまで続く砥石でした。今では砥石くずのリサイクル方法として江戸の中期に始まった砥部焼きのトウセキ用途でしか利用 されませんでした。
私にできることは当時のものにちかいよろしい砥石を採取する眼をきたえ、文化的価値もよいのですが採算性に見合う産業であることをまず証明してみたいで す。そうでないと、伊予は昭和の終わりと同じようなことになってしまうと思います。
京都粘板岩の師に教わったことも、伊予では見当はずれになってしまいます。大工をやっていたころのように先輩や参考書もないので、全てヤマカンで難儀しました。
つたえ残すということは、もちろんその時代に生きている人間ひとりひとりが当事者になるのですから、採算性は当然避けて通れない道でもあると思います。
一代限りのものでしたら何の意味もないと考えてます。
先生が後継者を育成するのにあたり、そこに懸念があるようですから何とか我々で盛り立てていけるような方法がないものか?とも考えております。
まづは、先般挙げさせていただいたPDFのように、先生の本物の仕事について世に広く知っていただく媒体をつくるのもいい方法だと思います。
多くのひとは、黒くてぽこぽこ??程度しか見てくれませんから・・・

誂える伊予は、京都のように板で揃わないので採るたびに性格が異なり分留まりも悪くて非常に悩むものの、先生をはじめこれを個性とかおもしろさとおっしゃってくれる方がずいぶん増えたと感じてます。
特殊な鉱物特性を生かして植木鉢としたり、硯のメンテナンス用砥石など、思いもよらなかったつかい道も見出していただきました。
これらをすべてやり甲斐としてうけとり、がんばります。
古代の道具をのこしたい鍛冶師
古代の建物を繕う大工さんのためにも古代の砥石があってもいいんじゃないかなと考る奴が一人くらいはいないと難儀じゃないのかなと考えてがんばります。
2010年06月07日 Category : 野鍛冶様

4人でKで行程860Km
4日10時半発ち翌3時半伊予
仮眠後9時伊予堀江で、白鷹先生の取材に同行。やり鉋はりきって作っていただきました。
昼過ぎ砥部の標高450m砥石山に登り、後に外山の旧砥石山から昔の砥石荷役の大街道で栄えた七折から伊予市郡中港まで出た後に4時半伊予を発つ。
大阪着同日5日の10時半。
ちょうど24時間のたびでした。大先生の取材はやはり一日やそこらでは難しいようです。
今の荒廃しきった砥石街道からは、むかしの賑わいなど想像不可能であったはずです。
日曜はほぼ寝込んでました。辛くて書けないので後は金物マガジンさんのブログでも飛んでいってください。
http://ameblo.jp/kanamono-blog/archive1-201006.html
伊予の白鷹先生、お仕事の合間、伊予の有志でご協力いただきました方々、我が山の主様、同行いただきました方々まことにありがとうございます。

白鷹先生 槍鉋の鋼を鍛えてます。 1  Sirataka0:58   白鷹先生 槍鉋の地を鍛えてます。 2  Sirataka0:35  白鷹先生 槍鉋の地、中子延べ。   Sirataka2:48

左から鋼鍛え・地金こしらえ・中子延べ

You uploaded 12 things on 7th June 2010 12枚写真
伊予へはいつも一人でお仕事するものですから、大勢で参るのは楽しいものですね。

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