天然砥石山が閉山の危機にさらされてから日は浅くはありません。
使い捨て文化が良くも悪くも、行き渡り刃物を研ぐという煩わしい作業がなくなりつつあることと、
均質で一様な品質である人造砥石が広く知られるようになってしまった為、多くのお手間と技術を要する天然砥石を商品として扱い、世に送り出すとこは、採算性を外れてしまったという一言に尽きると思います。
宝石や天然木と同じく一本一本違うから面白いし、刃あたりや研ぎ感覚などまだまだ人間の業では辿り着けない良いところがあると信じているかたが、天然砥石を使ってみようという原動力になっていると思います。
使う側のたとえば、職人さんの単価は芳しくないのでなかなか買いたいと思う砥石ではないと思うし、近年大きく裾野が広がりつつある業務用・実用ではなく趣味・一般で興味のある方にとっても、少々敷居の高い価格帯であることは、切に思います。
では、石を作る側・提供する側が、如何に評価される石を廉価で!という命題に答える必要があります。良い石を多くの方が使ってみたいと思う価格帯でいかにして作成するかということです。
そうでなければ、両者共倒れでしょう。
百錬の職人さんの技能を盗み、現在の色々な道具をうまく使い、これらをうまく併せていかにしてお手間を短縮させるか?
これに尽きます。
梅が畑系の東の石には、針だらけとかガリガリ刃物を引っかく石が良く出てきます。
原石なりに、面をつけたり適当にやりますと、グレタ砥石が生まれたりするようです。
その多くは、砥石の弱点を鏨で打って面を開けることによって、原石から良い砥石をお迎えすることができると思います。
ここだけは、百錬の職人さんの技で、目を読めない場合木っ端微塵になります。
特に巣板は恐怖です・・
24ロングをレザーにしてしまっては、飯が食えません。
動画は石職人親方に頂いた三代で100年近く使ったという鏨で、原石から面をお迎えするところです。
私の大工道具なんかより今はずっと価値あるものに感じます。
本石(名門の石)はへき開性が明瞭で、ヒコウを巧く付けば竹を割るようにザックリ割れます。
良い石の多くは、ことわざと同じくして竹を割ったような爽やかな性質を持ちます。
天然砥石も宝石なんだ!と思っていただければ、愛も芽生えることかと思います。
良い石であるほど、へき開を訪ね歩いて開けてあげると、良い研ぎ感のものが生まれると思いますので、手間が増えカサが減って、チョットつらいですが、ここだけは何百年前と変わらぬやり方が必要だと思います。
あとの工程は、今時のマシ~ンで徹底的に手間数を短縮します。
今時の技術者とお話し合い、電動工具についてもっと稟議改良を重ねなければなりません。
これを、頑張って継続することで、需要も落ち込ませないように出来るかな?と考えます。
結果、お山が生き残ればありがたいですね。
人類の歴史・文化が存在する以上、刃物もそれに必ずぶら下がっていると思います。
衣食住はもちろん、いつ・どこで・どんな?場合でも必ずぶら下がっていると思います。
戦争にも・・・
そう考えると全てを根っこから下支えする物の一つとして、砥石があるわけですから、頑張って作るのもわくわくできるかな?とおもいます。
奥殿の戸前お迎えしま~す
追記2008/02/03
勘敷山の原石。標本用に、形の悪いこれは極道際の浅黄のからす混や非常に美しい皮けつとスカッとまっすぐに成った色物の板を頂きました。
急所を突けば左上の浅黄は非常に美しく鏨で開きます。
ごくどう際は、そうの成り方が暴れているものが多いですが、これは気分爽快原石!
原石は、浅黄-からす-浅黄-からす-浅黄と成ってます。
上から二枚目と一枚目の間に金属を多く含む墨板(カーボンだらけの黒い全身からすのような板)の6mmくらいの板が挟まっているのが解かるかと思います。
ここは、どうしようもない板です。
標本にでもしたいと思います。
二枚目の表面に金属を多く含んだ墨板が薄く付いているのが見られます。
これは逆からすもようというべき黒地に白い斑点です。
何はともあれ、ここまで美しく鏨で開く板はなかなかありません。
素直で良い石です。
刃を当てるのがわくわくしますね!







