2008年08月19日 Category : 砥石

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暑いですね!
盆でも伊予の山に出て働きどうしで真っ黒けになりました。
坊主山で、地面も白いためレフ板効果で太陽二個!!
今後は夏に伊予に上るのは懲り懲り。
2日寝込んでしまいましたが、今年最高のすばらしき発見がありました。
画像自体にコメントシコタマそえましたので、画像押してアーカイブから一こづつ暇なときに読んでくださいね。

Iyo Toyama mine 19聖地にひっそり佇む10ヵ条。泣けます。
Iyo Toyama mine 05役割を終え、小さくちびた玉。お疲れ様です。泣けます。
Iyo mannen02セリサイト系ヘキ開明瞭皮けつ鮮やか上尾峠向の伊予の石。私の運のよさに泣けます?
Iyo Toyama mine 18聖地。祖先のガッツと現在の荒涼との狭間で溢れる想いで泣けます。
伊豫国万歳

 

 


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2008年08月07日 Category : 大工仕事

dobu骨材は砥石です。小間使いでどぶ埋め。

京都市内の北西のとてもでかい寺の庫裏です。
大工のお仲間のところに遊びに行ったときのもの。
手持ちの巣板と黄色い色物をスッキリやられてしまいました。
Myou_2Myou_3Myou_4Myou_5Myou_1
京都四大社寺建築屋の一翼を担う工務店なのですが、結構大工さんが減ってました。
ボスに聞くと「足洗ったぞ」と。
畿内も特に、職人単価が厳しいです。
職人さんになるにはかなり苦労します。忍びない話です。
ムチムチなボスも少し前に会ったときよりゲンナリ痩せ痩せになってびっくりです。

大阪の例のK剛組の職人の頭をやるような子から「大工いくところないかな?」と最近言われて探してみるもスポットはあってもなかなか、腰をすえることのできる纏まった仕事が御座いません。
ホントは砥石より大工さん京都にどうかな?と聞きたかったのですが難しいです~。
もっと東を当たるほかない状態かもしれません。

 近しい職人さんには卸値を割り割りの値でもっていって頂くとはいえど、今の状況でみるととてもとてもありがたい話です。
職人さんが底上げできるような時代が来るまで、暫くハラキリは続けねばならぬかも知れません。
キビシ~


2008年08月07日 Category : 猪尻山

各写真に、詳細記載
Yamashiromeito_Inoshiriyama_Karasu_16Th_era_1Yamashiromeito_Inoshiriyama_Karasu_16Th_era_6Yamashiromeito_Inoshiriyama_Karasu_16Th_era_5
真ん中が、しょんべんがね

Yamashiromeito Atsugane 3Yamashiromeito Atsugane 2Yamashiromeito Atsugane 1
あつがねづくし
Atsugane
鍛え中でございます。
2008年08月05日 Category : 山城銘砥

AttributionNoncommercialNo Derivative Works
 京都の本山の天然砥石の歴史について中世時代、本間籐左衛門という郷士が菖蒲尾崎で砥石を発見したことが発祥とされ、間もなくして鳴滝の砥石山も発見され、その間にはさまれた形である砥山は中山と言う一くくりの総称を得ました。
北西端である菖蒲尾崎から、南東端である鳴滝までの砥山全てを本間一族の山と言う意味合いの本山として呼ばれました。これが当初の持つ本山の本当の意味に当たります。
刀の時代の開花とともに内曇砥石をはじめさまざまな砥石の需要は高まり、その時々のお上に擁され幕末まで大きな権力を有していました。
盛者必衰といういわれが当てはまらぬ稀有な一族であると思います。刀を廃す近代に入り、砥山は人手に渡り所有者が複数に上ったため間府にはっきりした色々な名前が付いていったと聞きます。
たとえば現中山はずいぶん縮小して、長刀坂近辺までの梅ヶ畑向ノ地の無数の間府郡を指し、それぞれの砥山にも複数の採掘鉱が存在し、坑道で、他の呼称の山とつながってしまっているところも少なくありません。

 現在、梅ヶ畑で砥山の仕事に従事していた方で尊命である方は、師17代山本氏と中山で採掘されていた方1人のみであると思います。
初代である仁衛門さんは、御所の大工であり、梅ヶ畑に移り住んだのが始まりと聞きます。
15代常次郎さんは、明治の方。一族の方が多くの本山の間府に赴いていたと聞きます。
16代長寿さんは今の中山横のクリーンセンターに大きな工場を構えていたとききます。
中山北猪尻山、白砥より菖蒲谷東一帯及び東にしばらく飛んで原谷(旧斎場の傍)、はるか南の宇治田原で尽力。
文化的志向強く、多くの日記と砥石に関する覚え書きを遺し、戦後間もなくのころ奥殿と表大突の間に挟まってある白砥(山)の色物を台としたかわいらしい札の置物を誂えになり、この大きなものが菖蒲谷池のほとりにかつては掲げられていました。
これは、親方にいただいた16代のもので、私にはもったいないすぎるものであり何物にもかえがたい宝です。
Yamashiromeito
札にはこう書かれています。
 --
菖蒲谷銘砥
古くより「砥は王城五里を離れず帝都に随い産す」と言う諺がある菖蒲谷一帯は平安の昔から今に至も高雄砥石の産地として名高いその名は内曇又は浅黄と称して誠に天下一品これほどの銘砥は他に類がないと言われる程有銘砥である現在でも山中に採石の洞窟が至る所に点在している
山城銘砥
 --

他には、鳴滝の採掘に尽力されましたが、170m以上掘っても福王子神社の遍照の額の原石が最大で、小石ばかりでずいぶん大変だったと聞きます。
刀剣の地肌磨きようの木っ端とか砥の粉にしか向かないものばかりであったということは、こういった経緯によるものです。それで、鳴滝=水車小屋として知られてました。
戦後間もなく閉山し、跡地は公園になっていたりします。
これが、正本山の南東の端に当たり端だけに鼠の尻尾のような鉱床であったということになり、谷はさみひとつ北西の中山でも尚、巣板はやせ細り巣だらけで力なく、合わせ砥が良く肥えてきます。
中山を冠する=特級品と言うのは大きな誤りです。
また北西の長刀坂をはさみ、紅山や猪尻山では巣板も肥え始め、更に上がり勘敷や奥殿で巣板が良く肥えました。
尾根をこえ、北西の尾崎では、全てが良く肥えますが、巣板に少しかげりが見え始め、そのまた北西の尾根斜面に面す穴の谷では、中山と同じように巣板がやせ細り巣だらけになってます。
要するに、巣板が痩せると鉱床は消え行き、その本山の鉱床は山城國梅ヶ畑にたすきがけに掛かる連続的大鉱床であるといえます。

 本山という大鉱床がひとつの大きな高級な反物ばかりしまいこんだ箪笥であり、各山の間府はその引き出しであると考えていただくといいのではないでしょうか?
巣板に手が届きやすい間府であったり、色物に届く間府であるといった傾向は確かにありますが、原石に見る各層の特徴は判断つけがたいものであり、総じて一貫したいくつかの特徴はあります。
その一貫した特徴に合致出来た板が本山を謳うに相応しく、間府名=産地と考えることの意味が薄らいできます。
要件を満たしたどの層からのうまれであるか?が重要ではないでしょうか?
引き出しから取り出せるものが、狙いのものなら、中身は概ね同じものが横たわってますので問題ないということです。

 最近特に16代の時代の砥石を間府名名指しで多く目にしますが、果たしてそれは現実的なのでしょうか?嫌というほど「コレは誠か?」と質問されます。
うなぎや牛のようにはっきりとした根っこは闇の中・・・皆様もお気づきの通り、昨今の産地問題の伏魔殿としてはこの上なき環境であるかもしれません。
と言うことは、ご自身の眼を良く養い信ずるほかないと思います。
何点か、眼になればいいなと思うような職人しか知ってはいけないことと言われていることを、これからも暇を見て公開していきたいとおもいます。
誂え手、売り手、買い手全てが合同の情報を有していてもそろそろ良い時代ではなかろうかと思います。
山城銘砥は、そこに住まう歴代の先人が色々な間府という引き出しを見出し、膏血振り絞り集めてきた、かの大鉱床の原石であることは言うまでもなく、正直なところ生まれをピンで指し示すことも可能です。
しかしながら、いったんピンで指せば疑わしきピンが連鎖発生させてしまう可能性は先人にも買い手にも非常に失礼な話であり、残念なことです。
それで、16代の標である山城銘砥として師17代の知恵と経験を糧に鍛え上げさせていただき、原石より砥石を迎える事とします。
全ての正本山の本質と品格は実直にその裁断面に見ることが出来、他にもいろいろ眼の手がかりは隠されています。
買い手には知る権利があると言うよりもむしろ、知らねばなりません!
挽き肌の魅せ方に徹底し、なるべく挽いた後に研磨を掛け、良く観察できるようにしていこうと思っています。
側面全てが原石まんまの物は失礼に当たり、なるべくどこか一辺でも挽き上げて、層の積み方や育ちを観察できるようにしたいと思います。
鍛え肌や原石の皮や付けはなるべく残し、これらへその緒的な物も共に見せて魅せることが出来ればいいなと思っています。

 しばしば、師17代や中山の退役職人さんに「見てもらってくれ?」と託されることが多いですが、専ら大笑いされて終了と言う感じで、なんともやるせないです。
結構、託していただいた方に返す返事に気を遣い、くたびれます。

いろいろありますが、なるべく真面目にがんばります。
よろしくおねがいします。

ピンで指しませんよ、フフフ。AttributionNoncommercialNo Derivative Works


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2008年08月05日 Category : 砥石



山城國梅ヶ畑巣板口の巣板。
本巣板君主の居城ともいえるところです。
裏大突、五千両山から下って尾崎との中間にある間府で思いっきり急な坂道にひっそり開口してます。
幕末より鉱量の細い色物を取りつくし、本巣板の残り4枚が現在の本鉱床と言え、がつ板で尺長(24切)で5枚以上取れる原石が起きたと聞きます。
4枚のうちの端がもっとも巣のピッチが狭くこの画像のものが、一番底に当たります。巣ピッチ2分程度です。
しかしながら、整然と板なりに平行に全て走り、巣の巾自体も狭く明瞭であり、その裁断面からは白い真新しい辞書を連想させます。
正本山の素晴らしき巣板の成り方の顕著な例としてお役立てください。
奥殿が本巣板鉱床が肥えているところで有名ですが、なおりすごして煙硝であるものが多かったりしますが、巣板口では煙硝が見られず、ひたすら白巣板で揃います。
硬い巣板で、非の打ち所のない巣板です。
この巣板の落ちは53mmで親方の若き日の思い出であり、便所掃除とドブさらえのごほうびにありがたくちょうだいしました。
2008年08月05日 Category : ahonakoto

Kenny marunoko01Kenny marunoko02Kenny marunoko03Kenny marunoko04Kenny marunoko05Kenny marunoko07Kenny marunoko06

三河の自称変態大工さんにいただいた丸のこなおします。
特価の砥石と交換です。
基本的に物々交換も好きです。
おっふぁ~お待ちしてます。
左から順番にいじってます。詳細は参照ください。
ステータが萌えると、絶縁がなくなって、より良く萌えるので危険です。
夏場に材を挽き割るときには、コ~ナンとかの680円のピッチのとんだチップソーで切れ味の良いものを惜しみなく使わねば、燃えます。
75Pとか100Pのドウツキ用の上等なものは、挽き割には滅法向きません。
私は4寸 5寸のでっかい丸のこ専用の荒ピッチチップソーを特注で作ってもらってます。
335-40Pとか(二寸五分用)205-35Pなどです。

といっても挽き割り仕事は、まとまってあるものが多いので、連続して同じ機械を使わねばならないときは、ブロアの吹き口をモーターのお尻にぴったりあてがって送風しながら仕事しましょう。
ぶろあ~ノズルは邪魔なんで、のけておきます。
そうするとぬくい風がたくさん抜けていって、丸のこも燃えません。
しかし、右手にブロア左で丸のこと片手仕事になるので人間さんのほうに負担がかかります。

ステータは2000-3000円
アマちゃんは4000-5000円で買えます。

ブラシつき電動工具はステータだけ昇天が圧倒的なので、2000-3000円積めばすぐ元気になります。
続きはステータが来てから治します。
半焼で、ステータの絶縁が落ち、短絡気味になると、当然ステータの作り出す磁界が小さくなる+発熱量と消費電力量も上がって、弱くて暑くて電気食う工具になるので、半焼も全焼扱いで見るほうが賢明かとおもいます。
変なにほひがするということは、ステータのコイルの絶縁皮膜溶けてきていると思って、無理な拷問は避け、電動工具も早期治療と大切に扱えば生涯使えると思います。

 何で、大工ばかりしていた坊主がこんなことやるのかって?
坊主のころは丸のこさえナカナカ買えなかったので、先輩が捨てるのをコンテナの前で待ち構えていたからです。
必要はナンゾの母ですね。

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