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2010年04月11日 Category : 未分類

サボっており申し訳ありません。

今年もこの日曜に、薬師寺に参りました。
棟梁の遺徳を語り継ぐ会と言う趣旨の会で、白鷹先生が四国の支部長をなさることとなり、参加していただく方を集うこととなりまして、ご協力いただいた方々に御礼申し上げます。

特にヤングな大工さんにお勧めできるものであると思います。
奈良でよく応援お仕事をさせていただいた大工さんと、解体前の国宝東塔を拝んでおこうとおもいふと見上げると、いまさらしらなかったことに気づきました。
初重(いっこめ)の軒の木負の足駄欠き(下画像の下垂木と上垂木の間にある横に入った欠き取りがいっぱいある木)の身残しと上層の身残しがものすごく違う~ということです。
何でなのかは、しりません。
ただ作るのも、移動するのも、据えるのも、解体するのも、折れたりばらばらになりそうでとてもやりにくそうです。
何度も眺めたはずですが、気づくことってあるんですね!

1300年前に建って、唯一創建当時からあって江戸に修理したと聞きますが、軒の線は砕けていないほうだと思います。
江戸期創建の建物では採算性のこともあってか、とても傷んでいるのもよくみます。

有名な木口を見え係りに使う斗は、ほとんど見かけません。
奈良の古代建築ならではしゃれではありません。
理由は、たしか親方曰く、「荷重を何点かで分散させて受けることを目的としたものだから、繊維方向を交互に組むわけよ!」
とのことです。
で、上から桁-巻斗-肘木-大斗の順を追ってみると交互になってます。
この場合、上からの荷重に対して斗は丈の短い材でありながら、われにくいという組み方になります。
短い丈は、薪き割りのような繊維を割く方向の力には滅法弱いということは当然なので、理にかなうものと言うことなのでしょう。たぶん

おそらく今は99%が桁と同じ方向に、斗を作りますが、これは意匠性と作業性によるものかもしれません。
これが、今の一般常識的つかいかたになってます。
東塔とおなじように作ると、組むときに割ってしまいがちで含みの部分がポロリとなってしまいそうで恐ろしいのです。
水平方向にゆすっても、この方向に対しては、とても脆弱なのでポロリ懸念が付いて回ります。
東塔でもいろんなところでポロリを補修した痕跡があって美しくありませんが、それ以上に斗本来の機能性を追及すると東塔の組み方が古代工匠の答えとなるのだと思います。1300年忍耐しているのでキットこれが正解なのかもしれません。
あと、美しい見栄えにならんというのもあるで古代の方法はとりやめになったのでしょうか?
ちょっと凝った設計の先生方は巻斗は今風で大斗だけでも東塔と同じ向きにして欲しいとか注文もいろいろです。
奈良に居ると後になって向きのことで、先生方ともめるので、奈良で仕事をしたことがある先生がいらっしゃるときは必ず確認しておかないと、作り直しの刑になってしまうこともあるかもしれません。じつは一度作り直しになって懲り懲りしました。
実際平城京の復元工事では、工区や期間で先生も変わるので、これは古代的。あれは今風。と言う具合に、斗の向きに一貫性がないのです。
これも、平成の人間の我が出てきたいい例だと、未来の人が言うのかもしれません。

他に、肘木底を渡り仕口にしたり、斗は丈が短く木口の占有がおおきいので形がよくかわって、肘木との間にスキマが出来やすいので、斗に1分深さほどのペタンコのオンタ目地をつけて肘木に1.5分ほど押入れして変形しても絶対すかないようにする仕事も可能です。
目地に逃げを持たせることが出来るので、変形や横ストレスでふくみがポロリに非常になりづらいく、さし合わせ及び組み立てにおいてほぼワンタッチで可能ですから、大阪のk剛組で多用される方法です。
これは、意匠性と横ストレスにもっとも秀でた方法で、古代のやり方からは、渡りにしたり、目地を掘るということは垂直方向に抗う材の力を幾許か犠牲にするということですから一番反した方法になります。
平成の世で求められることは、1に採算性。2に意匠性ですから、これが答えでも間違いであるとは誰もいえないと思います。
斗供自体の刻みは少し手間が要るところがありますが、総じてみるとむちゃくちゃ手間が簡略できて、ながいあいだ美しいのでオススメです。

このように、時代ごとに採算性を軸として答えが変わるものとおもいます。
いかなる大工さんでも、飯を食うために大工さんであるのですから、この流れには抗うことは出来ません。
材本来の力を最大限まで引きだして、細かなスキマとかみえ掛りとかよりも、仰ぎ見たときの軒の線の美しさだとかを永い間後世に残す仕事というのは、ずっと未来の人間が気づくことですから、なかなか現代では実現できないのだと思います。
と言うことは、古代の人は平成の世の人が凄いもんだと気づくことをしっていたのでしょうか?
そもそもは、施主が誰であるかと言うとらえ方の違いかもしれません。
もちろん同じ人であるので、今美しくて手早くお安く出来るものが好評なのは仕方ないことです。
それで、江戸期以降は彫刻とかゴウテンおりあげ天井とかに凝ってハネギがいいかげんで、軒がへたって建物の寿命は古代より短いのは当然であるとおもいます。
古代工匠や施主は、国家事業であって神様や仏様の力で世を治めようという考えでしたから、永くもつ建物へのこだわりがあったのだとおもいます。
当時の出発は、大陸から伝わった軒の短い建築しかなかったはずですが、日本の気候風土ではとても耐えることが出来ないと予想立てて独特の深い軒と浅く優雅な軒ぞりを、コンピューターもない時代に発明して実現させたとんでもないお方が確かにいらっしゃたと言うことで、どうやって説き伏せて予算承認させたのかどうがんばって想像しても思い浮かびません。
想像できるところは、とても賢くて発明するまでの道のりとか、木造の大きな建築も永く残るかも実績も何もない時代のなかで、どうやって皆の首をたてに振らせたかと言うこと。これが気になるわけです。
大陸とまったく同じものをコピーすれば、かかわる人々が生きている間は無難であったはずです。

採算性とか、既存の大陸の常識も何もかもひっくり返して、地震、台風、多雨湿潤、諸々と世界一クラスに建築に過酷である日本で世界最古の木造建築を実現のものとした、古代人たちと言うのは、とにかく宇宙人か神様か仏様級に凄いお方であるということはわかります。

人々が住まう目線で建物を見ると、まず人の寿命圏内での関心ごとになりがちで、採算性、工期、彫刻とか造作の美しさに目をやる機会がふえがちかとおもいます。目に見えない軒の中の力の処理などをはじめ時間軸に対する耐性から見るととてもいい加減であったりするのも仕方ないことなのでしょう。
斗のスキマが出来ない工法が重視され、これはこの立場で近くに寄ってみたときのことにこだわりがち。
これが、建築の標準化された価値観になっているので、後継者をたてて苦労させたくないと思ってしまうのでしょう。

人々が方々から仰ぎ見て永い間信仰の象徴としてある建物と言うのは、何よりも優先して見つめるところは後生にも同じものを享受させ、たくさんの人が手を合わせるべし。
意匠よりも木のもつ力を最大限に引き出すこと。だから木口斗が格好悪くても、造作が質素でもそれは、建物の元に寄った人にしか見れないことで、仰ぎ見て手を合わせるときに如何に美しいか?ここに価値を見出しているものと思います。
下の写真よりも、離れたところからの写真のほうが、ほっとするとおもいます。
当然寄って見る機会より仰ぎ見る機会のほうが多く、いわば公の立場で距離を置いてみたときに美しい。
仏教の力で世を治めようとしたのですから、可能であったのかもしれません。

個々人々の立場で見てどうであるのか?
国家の平安が永く続く願いを込めたものとしてどうであるのか?
この二つの評価基準に基づいて何を対価としてするのか?
これらの狭間で多くの平成の大工さんが苦労なさるでしょうし、思い悩むことになることと思います。
世界最古の木造建築を擁する日本国民にとって、これはしっておくべきことであると考えます。

当日先生に、資料いただきましたので後日上げておきます。

DSC01257
一番低いところの軒。足駄欠底1/3以上ある
斗(ます)(桁下のパンツ見たいな四角い形の木)が木口遣いであるのは有名なお話。
他の建物と比べてみてください。

DSC01256
とてもペナペナしかのこってない。(みづらいけど)

DSC01255
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