山城国梅ヶ畑>勘敷山
勘敷山は、40-50年以上昔に閉山した山で、梅ヶ畑広芝町から奥殿町南端にかけてのおやまに位置し、中山水間府(職人呼称で泉)の北端ならびに、長刀坂から猪尻山、勘敷山、奥殿、白砥、大突、天砥、菖蒲谷の各間府を串刺しにした鉱脈線上に載ります。
北にそびえる尾根を越えれば、奥殿小学校の校庭に出ることとなり、南奥殿山と呼ばれた、巣板おおどれの間府がありました。
勘敷山は、中世のころより同じ山主様が代々護り、やはり丁髷のころより盛んに採掘されていたようで、間府の名残が尾根の南北に点在します。
16代目は文才に恵めれ、日記や非常に詳しい記録物を綴っていたのですが、昭和の終わりにすべてある事情のため失われてしまいました。
悔やまれます・・
かつてお一人、発破で亡くなったとも聞きます。
色々な高さに間府がありますので、浅黄から色物まで硬さも、顔色も色々です。
標本用に、形の悪いこれは極道際の浅黄のからす混や非常に美しい皮けつとスカッとまっすぐに成った色物の板を頂きました。
色々鍛えてみて、後述したいと思います。
よろしくおねがいします。
お山上がる途中、いい感じの板が!?
メゲテシマッタ間府
勘敷山の原石。急所を突けば左上の浅黄は非常に美しく鏨で開きます。
気分爽快原石!
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