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2008年08月05日 Category : 山城銘砥

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 京都の本山の天然砥石の歴史について中世時代、本間籐左衛門という郷士が菖蒲尾崎で砥石を発見したことが発祥とされ、間もなくして鳴滝の砥石山も発見され、その間にはさまれた形である砥山は中山と言う一くくりの総称を得ました。
北西端である菖蒲尾崎から、南東端である鳴滝までの砥山全てを本間一族の山と言う意味合いの本山として呼ばれました。これが当初の持つ本山の本当の意味に当たります。
刀の時代の開花とともに内曇砥石をはじめさまざまな砥石の需要は高まり、その時々のお上に擁され幕末まで大きな権力を有していました。
盛者必衰といういわれが当てはまらぬ稀有な一族であると思います。刀を廃す近代に入り、砥山は人手に渡り所有者が複数に上ったため間府にはっきりした色々な名前が付いていったと聞きます。
たとえば現中山はずいぶん縮小して、長刀坂近辺までの梅ヶ畑向ノ地の無数の間府郡を指し、それぞれの砥山にも複数の採掘鉱が存在し、坑道で、他の呼称の山とつながってしまっているところも少なくありません。

 現在、梅ヶ畑で砥山の仕事に従事していた方で尊命である方は、師17代山本氏と中山で採掘されていた方1人のみであると思います。
初代である仁衛門さんは、御所の大工であり、梅ヶ畑に移り住んだのが始まりと聞きます。
15代常次郎さんは、明治の方。一族の方が多くの本山の間府に赴いていたと聞きます。
16代長寿さんは今の中山横のクリーンセンターに大きな工場を構えていたとききます。
中山北猪尻山、白砥より菖蒲谷東一帯及び東にしばらく飛んで原谷(旧斎場の傍)、はるか南の宇治田原で尽力。
文化的志向強く、多くの日記と砥石に関する覚え書きを遺し、戦後間もなくのころ奥殿と表大突の間に挟まってある白砥(山)の色物を台としたかわいらしい札の置物を誂えになり、この大きなものが菖蒲谷池のほとりにかつては掲げられていました。
これは、親方にいただいた16代のもので、私にはもったいないすぎるものであり何物にもかえがたい宝です。
Yamashiromeito
札にはこう書かれています。
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菖蒲谷銘砥
古くより「砥は王城五里を離れず帝都に随い産す」と言う諺がある菖蒲谷一帯は平安の昔から今に至も高雄砥石の産地として名高いその名は内曇又は浅黄と称して誠に天下一品これほどの銘砥は他に類がないと言われる程有銘砥である現在でも山中に採石の洞窟が至る所に点在している
山城銘砥
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他には、鳴滝の採掘に尽力されましたが、170m以上掘っても福王子神社の遍照の額の原石が最大で、小石ばかりでずいぶん大変だったと聞きます。
刀剣の地肌磨きようの木っ端とか砥の粉にしか向かないものばかりであったということは、こういった経緯によるものです。それで、鳴滝=水車小屋として知られてました。
戦後間もなく閉山し、跡地は公園になっていたりします。
これが、正本山の南東の端に当たり端だけに鼠の尻尾のような鉱床であったということになり、谷はさみひとつ北西の中山でも尚、巣板はやせ細り巣だらけで力なく、合わせ砥が良く肥えてきます。
中山を冠する=特級品と言うのは大きな誤りです。
また北西の長刀坂をはさみ、紅山や猪尻山では巣板も肥え始め、更に上がり勘敷や奥殿で巣板が良く肥えました。
尾根をこえ、北西の尾崎では、全てが良く肥えますが、巣板に少しかげりが見え始め、そのまた北西の尾根斜面に面す穴の谷では、中山と同じように巣板がやせ細り巣だらけになってます。
要するに、巣板が痩せると鉱床は消え行き、その本山の鉱床は山城國梅ヶ畑にたすきがけに掛かる連続的大鉱床であるといえます。

 本山という大鉱床がひとつの大きな高級な反物ばかりしまいこんだ箪笥であり、各山の間府はその引き出しであると考えていただくといいのではないでしょうか?
巣板に手が届きやすい間府であったり、色物に届く間府であるといった傾向は確かにありますが、原石に見る各層の特徴は判断つけがたいものであり、総じて一貫したいくつかの特徴はあります。
その一貫した特徴に合致出来た板が本山を謳うに相応しく、間府名=産地と考えることの意味が薄らいできます。
要件を満たしたどの層からのうまれであるか?が重要ではないでしょうか?
引き出しから取り出せるものが、狙いのものなら、中身は概ね同じものが横たわってますので問題ないということです。

 最近特に16代の時代の砥石を間府名名指しで多く目にしますが、果たしてそれは現実的なのでしょうか?嫌というほど「コレは誠か?」と質問されます。
うなぎや牛のようにはっきりとした根っこは闇の中・・・皆様もお気づきの通り、昨今の産地問題の伏魔殿としてはこの上なき環境であるかもしれません。
と言うことは、ご自身の眼を良く養い信ずるほかないと思います。
何点か、眼になればいいなと思うような職人しか知ってはいけないことと言われていることを、これからも暇を見て公開していきたいとおもいます。
誂え手、売り手、買い手全てが合同の情報を有していてもそろそろ良い時代ではなかろうかと思います。
山城銘砥は、そこに住まう歴代の先人が色々な間府という引き出しを見出し、膏血振り絞り集めてきた、かの大鉱床の原石であることは言うまでもなく、正直なところ生まれをピンで指し示すことも可能です。
しかしながら、いったんピンで指せば疑わしきピンが連鎖発生させてしまう可能性は先人にも買い手にも非常に失礼な話であり、残念なことです。
それで、16代の標である山城銘砥として師17代の知恵と経験を糧に鍛え上げさせていただき、原石より砥石を迎える事とします。
全ての正本山の本質と品格は実直にその裁断面に見ることが出来、他にもいろいろ眼の手がかりは隠されています。
買い手には知る権利があると言うよりもむしろ、知らねばなりません!
挽き肌の魅せ方に徹底し、なるべく挽いた後に研磨を掛け、良く観察できるようにしていこうと思っています。
側面全てが原石まんまの物は失礼に当たり、なるべくどこか一辺でも挽き上げて、層の積み方や育ちを観察できるようにしたいと思います。
鍛え肌や原石の皮や付けはなるべく残し、これらへその緒的な物も共に見せて魅せることが出来ればいいなと思っています。

 しばしば、師17代や中山の退役職人さんに「見てもらってくれ?」と託されることが多いですが、専ら大笑いされて終了と言う感じで、なんともやるせないです。
結構、託していただいた方に返す返事に気を遣い、くたびれます。

いろいろありますが、なるべく真面目にがんばります。
よろしくおねがいします。

ピンで指しませんよ、フフフ。AttributionNoncommercialNo Derivative Works


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