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2007年08月12日 Category : 砥石

伊予砥は愛媛県で産する砥石で、日本最古の砥石として知られています。
京都の仕上砥石が、鎌倉時代より菖蒲谷から始まり約800年で、私の恩師17代山本氏が間府を引き継ぎ700年程で、伊予砥ははるかに古く飛鳥時代の大仏建立にまつわる文献として残された東大寺文書にすでに登場しておりますので1300年近い歴史を持つこととなります。


 しかし、昭和後期には伊予中岡氏を最後に採掘が途絶えてしまいました。
伊予中岡氏の採掘した砥石は、和釘の復元と調査に尽力され、ご自身が鍛冶職として文化財復元の為の和釘製作の第一任者としてあまりにも著名な、松山の白鷹先生が数丁所蔵され、彼自身の作品の刃付けにも愛用しております。
白鷹先生も地元の伊予砥にはことのほか思い入れがあり、私の伊予砥の間府(坑口)や良いツルを見つけもう一度世に復活させたいという思いに賛同していただき、何点か原石を収めさせていただきました。
実は富士鳩中岡は伊予の出なので盆に帰省した際、現当山山主の方にお願いして、採取してきました。


伊予砥の間府辺りには、日本の地質百選に選ばれる中央構造線でもある天然記念物、砥部衝上断層を擁し、原石も柱状節理を成しこれが採掘コストの高騰を招いたのだろうと容易に考えられます。


DVC00013.jpg chuujyousetsuri image by mifuqwai DVC00014.jpg chuujyousetsuri image by mifuqwai
これが現在露天で掘った伊予砥の原石。旧間府の200mくらいお隣のところになります。
柱状節理のお手本です。つる(鉱脈)が柱状で並び、さいころのような感じで積み上がってます。
こんな物重くてもてません!仕上げ砥石のように板でないもので、掘るのも大変。
見る楽しみはあれど、掘るのはやりたくありません。


DVC00011.jpg image by mifuqwai(全景) DVC00012.jpg image by mifuqwai(右下部露頭)
分かりにくいのですが、はるか山頂近くに崩れた間府があります。こちらにもつるがむき出しでありますので、いくつか採取しました。


DVC00016.jpg image by mifuqwai
礫岩(丸い花崗岩のような石)の埋め込まれた層も出て来ます。色々入り乱れ。


DVC00017.jpg mabu2 image by mifuqwai
これも旧間府!!


DVC00018.jpg image by mifuqwai DVC00019.jpg image by mifuqwai
岩をも砕く松の根の力!!露頭した鉱脈の先端に松が陣取っているのです。
花崗岩でもジャンジャン砕きますので、お手の物なのでしょうね。


oo仕上げ砥石は概ね、粘板岩に属し、伊予砥・備水・大村・若狭等、荒~中砥は砂岩に属します。

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コメント

●Non Title
いま、延喜式(967年施行)を洗いなおしているのですが、
「伊予砥」の記載は各条に多くあります。
もう一つ「伊予砥」と並んで記載されている砥石は「青砥」。
これはおそらく丹波・亀岡産のものだと思うのですが、
23巻の民部条の貢品としての丹波の産物としては記載されていないのです。
伊予砥は伊予の産物として記載されています。
全巻調べが終わって何か判ればいいのですが・・・
●Non Title
伊予砥は30年ほど前にしばらく使っていました。
こちら(丹波・篠山)に来て但馬砥というものがあるということを知り、
あちこちで10枚ほど入手しましたが、いいものには出会えませんでした。
但馬砥はいつ頃から使われているものなのでしょうか?
延喜式の民部条には、但馬の産物としては記載されておりません。
三河砥も記載はありません。
●Non Title
Kiyondoさま。いつも貴重な御意見ありがとうございます。
砂岩系統の砥石は各地で産していると聞きます。白鷹先生は、福井県の若狭のほうでも伊予に似た砥石を求め、御自分で採取されていたと聞き、一本記念にいただいてきました。白い砥石で、そこの砥石を藁縄で綴ったひとこおり丸ごと伊予の砥石商より買受け、飾ってありました。この砥石は後日Upいたします。
伊予砥が古来より文献をにぎわせていたのには、一つシンプルな原因が考えられます。
伊予は砥部衝上断層を擁するため、多くの鉱脈が露頭する機会に恵まれていたことで、当時発見が容易であったと考えられます。
 これは、菖蒲谷の砥石が京都で初めに発見されたのと同じような理由ではないかと思います。
菖蒲の石は、比較的柔らかでいきむらさきやしにむらさきなど風の入った石が多く、露頭鉱脈が多数あったという裏づけではなかろうかと思われます。それに伴い例の道ができるまでは、多くの間府を擁していたと17代目に伺いました。
ところで、砂岩から生まれた砥石では今の人造中砥石と比べてしまいますのでどうしても力不足するところを感じざるをえませんが、刃あたりとか可愛らしい模様で勝負できたら、いまでも出番はあると信じていたいですね。
●Non Title
なかおか様、いろいろとご教示ありがとうございます。
戦国時代などでは、自国の中で砥石を調達できた方が有利ですから、きっと砥石探しに力を入れたのでしょうね。
そちらのサイトの砥石のページから「青砥名倉など」のページへのリンクがうまくいっていないような気がするのですが・・
http://fujibato.com/c1/toishi/nakato/index.html このページですね。

私がこれまで使ったなかで最も優れていた中砥は名前が判らないのです。
もしお判りでしたら、ぜひご教示お願いします。
http://www.eonet.ne.jp/~kiyond/toisi3.html
ここにUPしました。
●お疲れ様です
おつかれさまです。
これは!!緑の中砥ですか?
はじめてみます。
ビン水の白でよく生地が積んでいるものに緑っぽいものありますが、もっとあなぽこがあったと思います。鑿に付く生地の感じは似てますね!
中国の砥石で良く似た色の中砥を手にしたことがありますが、まさかそれではなさそうですし、わかりません。リンクお直ししておきます。お役に立てず申し訳ありません。
●ありがとうございます
なかおか様
ありがとうございます。
この緑の中砥は他に1枚見たことがありまして、それは丹波市の山南町という所の神社の社務所で使われていました。
手許にあるのは篠山の農家で使われていたもので、山南町と篠山は30kmほど離れています。
ある一時期流通していたのでしょうか・・
●みどりのもの・・・
お疲れ様です。じつは、神前の裏山で新しくツルが露頭しているのを発見しましたが、似たような色で生地も中砥くらいかと思いました。
ただ、かたくて嫌な感じがしました。
宮川・岡花の山が競っているところですが、原石のなりかたが青砥のように芋ではなく、ツルも立ち本石らしい見事な板です。
もうチョット調べてみないと分かりませんが、とにかくよくよく山へと目を凝らすと結構露頭している時があります。おもしろいです。
●ありがとうございます
なかおか様、ありがとうございます。
大変興味深いです。
ぜひ採掘してほしいものです・・・。

以前手に入れた砥石に関する資料を調べなおしたのですが、昭和45年に出された内田広顕氏著の「刃物に関する諸材料」では、全国の砥石の産地が記されています。
これを見ると北は青森県から南は宮崎県まで、本州の多くの県で採掘されていたようですね。
その中で緑色の中砥と思われるものは、秋田県の金山石、山形県の前森砥、同じく山形県の田沢石というのがあります。どれも今では聞かないものばかりです・・・
●栃木に!
おはようございます。
栃木に、中山そっくりのものが出ると聞いたことあります!にわかに信じがたいですが色々御執筆されていらっしゃる先生から直に聞いた話です。これらに”Oカ”を押しちゃうらしいとも・・・結構”Oカ”の判子は問屋さんなり小売店さんなり持っているものです。
ところで大平には、谷から尾根に向かって伸びた坑道があり、山の芯に近づくと当然硬く細かくなり、卵色した見事な石が出ます。
掘っていた職人さんのいうことで、見てみましたが、皮の艶といいこりゃ梅が畑の石と言われても分かりません。
 ただどこの山でもよいものは出る可能性はあるとおもいますし、出所に拘るより使えるものが出所より評価される時代になると思います。
 
●栃木
内田広顕氏著の「刃物に関する諸材料」には栃木県の産地は3ヶ所記載されています。
中砥の産地が2箇所。これは青砥です。その一ヶ所は産出量が記されていて2社の採掘業者により月産30トン以上産出されていたようです。
合わせ砥は栃木県安蘇郡田沼町飛駒という所です。産出量は記されていませんが、地質は京都と同じ秩父古生層となっていて、石質も珪質粘板岩です。
京都・丹波と同じ地層のようですね・・・
●届きました
注文の伊予砥、無事に届きました。
ありがとうございました。
これで充分です。力は人造砥に及びませんが、人造砥の深い傷が楽々消せます。しかもその傷は浅いので仕上げ研ぎが楽です。
硬めのものを希望しましたのは、ノミ専用として使うためと水に浸しておく時間を短くしたいためです。
30年ほど前に使っていた伊予砥は、やはりノミ専用として使っていました。
研ぎの師匠(内田広顕氏著の「刃物に関する諸材料」に協力者として名前が掲載されいる原延吉氏)に相談したら、これがいいだろうということで薦めてくれたものです。
それは白地に黒いゴマ粒状の点が入ったものでしたが、香りは同じです。
懐かしい香りでした。
●それは黒星かと!!
お疲れ様です。盆に頑張った甲斐がありました。ありがとうございます。
それは黒星といわれる奴ですね!
私は赤い斑点の赤星しか持ってませんが、硬さといい刃あたりといい、絶妙で大好きです。研ぎの条痕傷はザックリ行っているようにみえますが、何故だかすんなり消えると私も同感いたします。これは一体なんでなんでしょうか?
白鷹先生はでっかい黒星で、包丁なぞの刃付けしておりました。
黒星のみで仕上げとしており、研ぎあがりは条痕が目立ち白く見えてお世辞にも今流行の美しい研ぎ上がりとは思えませんが、何故だかどうしてだか??滅法切れます。
 黒や赤の星が出るツルは今のところ怖くていけませんのでヤキモキしてます。
また少し東に、赤が出ているという情報を耳にしましたので、次回伊予に帰った時は挑戦してみたいと思います。
やはり伊予砥といえば、星紋様が主力ですから、どうしても見つけて先生をあっと言わせてやりたいものです。
 それにしても栃木青砥月30トンは凄まじいですね!
製品分留まりは、30-40%くらいでしょうから、月10トンの製品とすれば2Kgの製品が5000本??昔はそんなに研ぎ需要があったということでしょうか?
●黒星ですか
なかおか様
ご教示ありがとうございます。
黒星、赤星という命名には感じ入ってしまいます・・・
(赤星なんかは阪神ファンにはたまらんでしょうな・・・失礼。)

村松貞次郎氏の著作「道具と手仕事」のなかに、「明治10年(1877)の第一回内国勧業博覧会の出品目録には出品されている砥石の産地は、北は青森県から南は熊本県まで173ヵ所に及んでいる」と記載されています。
それだけ需要があったのでしょうね。
内田広顕氏著の「刃物に関する諸材料」の資料では50ヵ所ほどです。これは昭和の中頃(1960年代)です。
●白星
お疲れ様です。
白星は、真っ白の奴と聞きます。阪神ファン向きに是非にも赤星多く出ることを願います。
梅が畑にも南の鳴滝の小高い山から大突のやまにかけて特に間府がたくさん開いていたと聞きました。とにかく昔の人は、砥石の気配がするところを手当たり次第ひっくり返していたようです。人造GCやWAがないので当然といえば当然なんでしょうね。
●日本山海名産図会
寛政十一年(1799)に発行された「日本山海名産図会」をちょっと調べてみました。伊予砥の赤や白が紹介されています。ここにUPしました。
http://www.eonet.ne.jp/~kiyond/toisi-nakato.html
参考になればと思います。
●勉強になります!!
Kiyondさま。
ありがとうございます。
江戸の終盤のお話ですよね?これは毎日読み返さねば理解できそうにもありません。
建築の文献もこのような書き方のものを読む機会がありましたが、頭が痛くなってそのままポイです・・
江戸の頃は露天が主流でしたが、ツルを追って間府(坑口のあな)をこさえて掘り進める方法も出てきたようで、佐渡とか別子とかなんでしょうか?金属採掘に従事している職人さんを引き抜いて、間府技術を砥石採掘にも取り入れようと頑張っていたと師に聞いたことあります。
奥殿は、大突と中山の間にあり巣板で有名ですが、これも江戸時代の間府が陥没してそれを直す際に露天で大どれしたという話は有名です。
他にも高島硯をなぶった時の間府とか、高島自体にもチョンマゲ民族が空けた間府が沢山あります。
当時は、発破もカーバイトも振動ドリルで矢を入れる穴もあけることが出来なかったので、気が遠くなるほど大変だったと思います。
なかおか

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