鉄、千年の命 白鷹先生
竹中道具博物館に玉鋼のケッペンをおろし金してチョウナを誂え、数セット納品もしております。
和釘の復元もお二人で御尽力して、大工は1000年持つ建物を追い、鍛冶は1000年持つ釘を追いました。
よく、宮大工さんは釘を一本も使わんと言われますが、あれはデマカセ。
特に垂木を桁に止めるのには釘使います。
時代変遷による釘の意匠等多くを研究されており、お二人の出会いがなければ、歴史あるものを維持して伝えたいという試みも潰えてしまっていたのかもしれません。
良い木と鉄は建物にとって両輪であって欠かすことの出来ぬもの。
日本の鉄は踏鞴(たたら)で作られ、量産は難しかったですが、非常に純度の高い鉄が取れました。
現代製鉄では、高炉でコークス使い高温大量生産可能ですが、コークス自身の硫黄分等が鉄に含まれ朽ちやすい鉄になり、現代鉄での釘つくりは現実的ではありませんでした。
しかし、二軒造りの建物で垂木を止める釘は莫大な本数が必要です。
材を失われた技術である踏鞴で用意すれば御破産。
木材は、当時台湾のヒノキが流行っており、鉄だけは失われた方法の素材を追いますのでいきなり頓挫かと思われましたが、各方面のお力添えと採算性を度外視した企業努力により、純度の高い鉄の復元にも成功しました。
後、薬師寺や平城旧跡復元工事 他色々な建物の釘を誂えられ、私も平城京で来る日も来る日も垂木打ちをさせていただいたことがありました。厳重に保護されている建物でお仕事させていただく際には、創建当時の釘の意匠を加味してその都度違った釘が出てきますし、よくよく釘の鍛冶職のことをお聞きしますので、業界では有名な方です。
落としたり亡くしたりしたら、先輩や親方にドエライ怒られ、当時は「こんな黒くて四角いボコボコした釘がどうしてそんな値段するんやろか?ていうか、怒りすぎだ!君たち?」と不思議でしたが、最近少し分かる気もします。
貴金属の価値はいつの世もゆるぎないものです。鉄の中にも貴金属に属するといっても過言ではないものもあるのかな?と考えさせられたりします。少なくとも、NKKHインゴットの中には多くの方のガッツと情熱が詰まっているとお思います。
腐食試験用の釘でした。見事な巻き頭と均等に打ち込まれた槌目。
先生は仙人のように飄々のほほんとしていて、ごく普通の伊予の村の鍛冶屋に見えます。現に、遊びに行っている際、村のお母さんが、包丁を求めに訪れてこられました。
偉業を成しえた鍛冶屋さんには見えません。”能ある白鷹は・・・・”という諺がしっくりだとおもいます。
よーくみると何本かは玉鋼を下ろして誂えた何とも美しい模様の出た包丁もあるではないですか!恐るべしです!
他に、東大寺の下り棟の補強材の鉄から誂えた鯵引き包丁とか、お土産に頂いてきました。
恐るべし村の鍛冶屋です。
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