雨漏り診に行ってタナボタ!中山はどうして中山?
つい先日、17代山長である私の砥石の師より「雨漏りが・・」
ということで、梅が畑に行き、床下から出てきた束石は大突の巨大原石でした。。。
ほうきの先が載ってるほうが大突。目の保養になりました。
この辺りでは、石垣の中に斜めに直っているという今ではわがままな理由でポイした原石が沢山刺さってます。時代変わればムチャクチャなものです。
一緒に市内へお出かけした際に、中山より南の鳴滝は、露頭したツルが多くそのため風が入り柔らかいのが多いと聞き、少し回り道したらアリマシタ!!
巾6-8mくらいのツルの帯です。
小高いお山の鳴滝は、今では墓と高級住宅がひしめき合っておりますが、ふとしたところに露頭してます。
勝手に掘ったり立ち入ると即お縄です。スケベ心は禁物です。
師曰く、ここと菖蒲・大突が一番京都の砥石で歴史が深いものとして知られ、鳴滝と大突の中に挟まれた位置に間府を設けたということで”中山”といわれるようになり、後輩の間府であるということが分かります。
中山とは地名でなく、職人さんたちの間の呼称から端を発したということになります。奥殿は江戸に入ってからの間府で師の家系の方が採掘されておりました。中山の北で大突のすぐ南にあるので、広義には中山といえるかもしれませんね!
中山は、山の尾根がせり出して延びてきたその斜面に沿って三種の高さで間府が開いており、尾根とほぼ平行に掘り進み、一発当たり300m以上掘ったと聞きます。地形状の立地のよさも重なり大どれし、間府により色々でますので、種もいろいろあって飽きない不動の人気を勝ち取ったものだと思います。
昭和までの人は、マツタケ狩りに出かける際にセットウと矢も提げて出かけたと聞きます。
露頭したツルがあれば、叩いて感触を確かめるために。
秋の梅が畑の宝探しは、とってもわくわくできたのでしょうね。
秋が待ち遠しいです。
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