鳴滝向田とお詫び
鳴滝向田は、小高いコンモリした山で中山の南にあって、菖蒲と並び室町の世から採掘されておりましたが、50年近く採掘されていないという事。良く知られている、京都最古の砥石山です。
今では、高級住宅と頂には墓地で埋め尽くされ、山というよりも街です。
代々鳴滝も採掘していたという職人さんにお聞きしたところ、「殆ど軟いもの
しかなく、煙硝(しゅんしゅん)=硫黄分や、硫酸塩・亜硝酸塩を多く孕んだ石はでなかったという事です。
ツル(鉱脈)の成り方は、斜め30~45度くらいで、東上がりでした。帯も狭く断層が多く噛みこみ小取れのツルが至る所にちりばめられていて、結果良く風が入って(風雨による風化・酸化作用で柔らかで、色づいた板になること)柔らかめがどうしても主力になります。
生地は細かな事は間違いなく、刀剣内曇の発祥もここと菖蒲の天井層巣板が始まりであったという事です。
よって、固まって大どれというツルは、断層により切り裂かれ少なく、煙硝もでないということになります。間府は今でも、至る所に開いており、WWW2の時には防空壕や今ではちびっ子の遊び場になっておりますが、当然一個一個が浅いです。
煙硝は、
- 大どれのつるで永きに渡り圧搾された、敷き巣板(一番下側にある最も古くから出来た砥石)にのみあらわれます。
- 気密性に護られ続けたつる。言わば、風の入らなかったところ=断層で切り裂かれる頻度が低めである事。
- マンガン鉱脈とセットで砥石も出ますが、これらが近接しすぎていない事。(これの理由は調査中。)
これ等の条件が重なると現れてきます。
私が、本日まで硬い黒い蓮華の散ったもの、黄緑色の硫黄の塊のようなものや、硬い浅黄で煙硝絡みの物など鳴滝向田として多数御紹介させていただきましたが、これは丹波のとある所においてあった原石の産地がここにあたるという事をお聞きして、御紹介させていただきました。
しかし、持ち主様も採掘したわけでなく、入手されたのも遥か昔の事ですし、出所も人づてしか聞いておりません。
現場の職人さんが煙硝は無い。と言い切るのですから、わたしは、これを信じこの目で見てきた鳴滝の狭く小どれなツルのなり方を見てきましたので、煙硝は鳴滝という代名詞的御案内方法には大いに問題があると、感じました。
今月は、お肉、鳥さんや餡子餅で、原材料等表記に偽りがあったりでお縄になっている方もお見受けします。
私は、故意・悪意があった訳でありませんが、結果これに値う事になんら、変わりありません。
原石表記に偽りがあったということになると言わざるを得ません。
本件に関する過失は全て私にありますから、私が販売した鳴滝で硬い煙硝をお持ちの方は、お買い上げになられた額面と、送料他諸々のお代金で引き取らさせていただきたいと思います。
誠にお手数おかけしますがどうぞ御連絡ください。
今後、原石に関しましては間違いの無いものを扱い、現場の職人さんの言葉ができるだけ伝わるような方法を考えて行きたいと思います。
情報化社会の今だからこそ、やらなければならないことであり、手にしていただく方々には知る権利がるはずです。
宜しくお願いします。
十九年十月二八日
中岡 友憲
コメント
鳴滝向田は使ったことがないので、そうだったんですか。勉強になります。また中岡氏の真摯な態度に感銘を受けました。仕事をしていると、人から聞いた事を他の人に教えてあげて、それが違っていたという事がたまにあります。自分は、言い訳をしてしまうことが多かったのですが、以後心を入れ替えてやらねばと思いました。
話は変わりますが、山涌さんの出刃はSK鋼でしょうか?V金10で210mmの牛刀を作ってくれないかなあ~!
Posted by kuraken at 2007.10.29 20:49 | edit
Kurakenさま
なかおかです。
ありがとうございます。そういえばスカイラインは何代目なのでしょうか?ケンメリ1600 G16E/G 載っていた事アリマス。
石を買い取り、それで集金させていただいている以上、いかなる事も言えた立場ではありません・・・
出刃SK!でカーボン抑え気味で靭性がよく出てます。300gも重さがあり、ふりおろしやすいですね!私は魚をばらすのが好きですので、これはお薦め。
。
5.5寸以上は一から手鍛接・鍛造です。
当然V2までの材に限られてきます。
V10などなどは、ニッケルなどを貼らない限り付けがほぼ無理で複合材(利器材)から買わねばなりませんので、厳しいかと思います。
しかし、かれはもういなくなってしまったと言われる、何とハイスの付けを実現させてしまう神技の持ち主。これも片刃までです。
卓越した技能の鍛冶の生み出す刃物は材がどうだという範疇を当に凌駕する何かしらを付帯できるものと思います。
もうすぐ、得意分野であるバールや釘〆が出来ます。
宜しくお願いします
なかおか
Posted by なかおか at 2007.10.30 00:41 | edit
fujibatoさんから譲っていただいた向田の石は2枚(白妙の水浅黄と、褐色の環巻)、どちらも激硬激細の究極仕上げ系の大極上石でした。
研磨しているというより、きめ細かく溶かしているような研ぎ味で、木口の艶だし仕上げ彫りに不可欠の石として大活躍してくれています。
原石表示に誤りがあったとしても、良い石であることに間違いなく、私としてはこれからもずっと大切に使い続けたいです。
以前にこちら(関東)の砥石屋さんで、太平洋戦争の前に採掘された鳴滝の石ということで,『KIKUSUh・瀧鳴類無』【菊に流水紋の商標から推察して、きくすい=菊水と読むのだと思います。戦前なので、横書きの漢字を右から書き流しています】の判子の入った石を買った事がありますが、やはり白妙の水浅黄で煙硝絡み、激硬激細激下り激滑の大極上系でした。(ただし、コノドント片の含入率はかなり高い石でした。)
30年くらい前に、砥石のレクチャーをしてくださった星野光雄先生(当時70代半ばくらい。故人)も、『彫り物師にとって真に本山物と呼べる石は、極めて少ない。京都の鳴滝産にわずかに残存するのみだ。』と言っておられました。(なぜか“梅が畑”とはおっしゃいませんでした。)そして,先生が言うところの“鳴滝産の本山物”の特徴は、『激硬激細激下ろし激滑の浅黄系』だったと記憶しています。(煙硝については具体的に触れられませんでしたが、“変な匂いがする”とは言っておられたと思います。)
懇意にしてもらってる2~3件の砥石屋さん(70~80歳代、関東在住)も、鳴滝産(鳴滝音戸山町付近、木津山~向田あたりの、要するに中山よりも南側で採れた石を指すらしい)の上物の特徴については、大体似たような説明ぶりです。
こうして見ると、鳴滝産の砥石に『重くて硬くて金属音がして生地細かくて良く下ろす煙硝絡みの究極滑走仕上げ系』という、彫り物師が大喜びしそうな超仕上げ砥のレッテルが貼られたのは、歴史的に見てもかなり昔(少なくとも60~70年以上前)のことなのかもしれません。
原石の真の産地や産出層は、実際に採掘した人じゃないと分らないのかもしれませんが、中岡さんが紹介して下さった“向田”は、木津山付近も含めたもう少し広い範囲の、かなり古い『鳴滝産』だったのではないでしょうか?
まったくの見当はずれかもしれませんが・・・少なくとも“鳴滝”の部分は正当な表示だったのではないかと拝察しています。
ともあれ、原石の産地がどこであるかは、使う側の立場から言えば2の次、3の次の問題で、要するに『用途に見合った使い易い優れた石が欲しい!!!』というのが一番の本音です。
ですから、産地不明で氏素性のはっきりしない石でも、高性能であれば、『産地不明』と附記してこれからもどんどんUPして紹介してほしいです。
観賞用のコレクションをしている方々は別事情としても、職人であればたいてい皆おなじ気持ちだと思います。(ここは主に職人向けのサイトのようですし・・・)
今回の事、あまり深刻に考えないで、今までのスタンスで頑張って下さい。
お肉屋さんや和菓子屋さんの不手際とはまったく次元が違う問題だと思いますよ。。。
。。。それにしても、「丹波のとある所においてあった原石」の、真の産地はいったいどこだったのでしょうか。。。?
確めようのない謎であるだけに、微妙に気になるところではあります。
Posted by 関東むじな男 at 2007.10.30 03:02 | edit
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Posted by - at 2007.10.30 22:04 | edit
産地は二の次、性能重視賛成です。向田で好みの石を手にされた方もおられるようですね。
私はあさましく恥ずかしい人間です。
自分で写真を見てコメントを読み購入した
石が、正直タイプではありませんでした。
悪い石と言う訳ではなくタイプではないと言うだけのことですが。
しかし、それは自分の判断力のなさからです
そして、今回のなかおか氏の告白にあたり、
ならば返金とまでは考えませんが、交換して頂こうかな?などと悪魔の囁きに耳を傾けてしまいました。
好みの石を求め買い漁るうちにコレクターの血が騒ぎ出したのも事実です。で、鳴滝向田のものも・・・と言うのも自然の流れでした。
そして悪魔に心を売り渡しそうになった自分が許せずこの投稿を致しました。
どうぞ、このあさましき男をさげすんで下さい。
Posted by 小犬 at 2007.11.02 13:05 | edit
小犬さま?
お疲れ様です。
画像やHgalとかいくら挙げてみようとも、砥石の懐は深く、完全に伝える事は難しい事だと思います。
試しに送ることで、ごじぶんで確認なさって、購入していただくという方法が現在のお取引で増えてきております。
それで、HpにあまりUpする気がなくなってきたのも事実です。
私は、沢山石を刻んで作ってきました。
どの石が、どのようなお方にビンゴであるのか未だ分かりません。
そう考えていますので、交換の話も実はこれまで沢山うけたまわってきました。
好みの石が渡ってこそ、そこにPayが発生する事がお互い理想です。
そもそも、私達が仕事の時に毎日袖を通す作業着ですら”試着”という習慣があります。
砥石でどうしてこのような事がまかり通らぬのか、非常に謎でしたし、不条理極まりない事だと考えてます。
着れない物。使え無いものを手元に置いておくことは、気持ちのよいことではありません。
小犬様がそうお考えになることは、蔑む様な事では無いと考えます。
わたしでもそのように考えるはずです。
よろしくおねがいします。
なかおか
Posted by なかおか at 2007.11.02 21:22 | edit
むじな男様。お疲れ様です。
詳しい御説明有難う御座います。
中山の水間府(泉間府)が浅黄の宝庫で、300mほど猪の尻まで尾根と平行に伸び、結果風の当たり方や圧搾され方が等しく、均質でよいものが取れたと聞きます。
音戸山直近の間府で谷一つ隔てた感じです。
あとは、鳴滝は東に展開しておりますが、周山街道を挟むと、全滅で全く出ません。
ところが昭和50年代までの話では鳴滝宇田野まで東に出ると、柔らか色物が出たと聞きます。ある意味究極の東物です。しかし煙硝は無縁です。
西に出ますと、広沢の池があります。ここの上でも出ました。
しかし、柔らかで、かなり質の落ちる物と聞きます。
音戸山以南では山らしい山はありませんし、厳しいです。
中山以南・では、その殆どがこの山に集中していたと聞きます。
もう少し、調べます。
宜しくお願いします。
なかおか
Posted by なかおか at 2007.11.02 21:50 | edit
http://maps.google.co.jp/maps?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4GGLJ_jaJP177&q=%E6%9C%A8%E6%B4%A5%E5%B1%B1&oe=UTF-8&um=1&sa=N&tab=wl
鳴滝地図です。
Posted by なかおか at 2007.11.02 21:55 | edit
中岡様
おはようございます。
いつもいろいろ勉強させてもらっています。
むじな男です。
ご返信ありがとうございました。
拝読すると、鳴滝からは軟らかい非煙硝系の石しか出ないようで、無念です。
宇田野や広沢池上の、S50年代採掘の石は、私も見たことがあるような気がします。
おっしゃるとおり、非常にきれいな感じのべージュ系(あるいはグレー系?)の軟らかい石で、なぜか台付き、安価な薄板が多かったように記憶しています。
検索すれば、いまでもどこかのSHOPにUPしているかもしれません。
私としては、買う気になれない感じの石でしたが・・・。
ところで昨日、“京都天然砥石の魅力”を読んでいたら、ちょっと気になることが書いてありました。以下、要約して引用します。
『1902年、京大の比企忠博士が京都の合砥を調査研究した際に、当時盛大に掘られていた“鳴滝”の地名を合砥の学名として採用し、“鳴滝岩(narutakite)”と命名した。その後その影響で、京都産の合砥を“鳴滝砥石”と呼ぶようになったが、のちに比企博士の学説の不備が明らかになり、いつの頃からか“鳴滝岩”の学名も使われなくなった。』(72ページと39ページの記述を要約引用。)
“天然砥石の魅力”によれば、比企博士は大正年間も京大で研究を続けていたようなので、このアカデミックな“鳴滝砥石”という言葉は、少なくとも昭和の初年頃までは、“良い砥石”の代名詞としてかなりの光背効果をもって世間に通用していたのだろうと思います。
ということはつまり、明治後期~昭和前期頃にかけて、“鳴滝”は地名のみならず一種のブランドネームとしても使われ、非鳴滝産の合砥も“鳴滝砥石”と総称されていた(・・・現在の“本山砥”に近い感じで・・・)、とも受け取れるのですが、そんなふうに考えてよろしいのでしょうか?
古い事なので、山本親方がお詳しいのかもしれませんが、当時の“鳴滝砥石”が“本山砥”みたいな境界線の曖昧なブランドネームだったとしたら、鳴滝エリアとは縁の薄い煙硝絡みの硬い石が、“鳴滝”と呼ばれていたとしても不思議じゃないと思うのですが・・・。
前回紹介した“KIKUSUh・瀧鳴類無”などは、私的にはお話頂いた中山"水間府”産のように思えるのですが(すごく硬くて下ろす石です)、どうしてこの石に“無類鳴瀧”という有り得ないハンコが押してあったのか・・・・・とても興味があります。当時の慣例として、中山の石にも“鳴滝砥石”のブランドネームを冠することはなかったのでしょうか?(先日、砥石屋さんに問い合わせたら、この無類鳴瀧、まだハンコ付きの兄弟石の在庫があるそうです。)
“本山”のハンコが氾濫する昨今の状況と重ね合わせると、昔も似たようなブランド相乗り志向はあったはずだと思うのですが・・・・・・考えすぎかな・・・?
毎度の長文、失礼致しました。
*追伸・・・子犬様へ。私もあなたを全然さげすみません。と言いますのも、私自身、砥石の交換を一度ならず二度までも中岡様にお頼みした前科があるからです。中岡様に対しては非常に罪深いことをいたしましたが、交換をお願いして手に入れた石は2つともすばらしい石で、その石とのご縁の深さを実感できました。ぜひとも交換のトライアルされますようお勧めいたします。むじな男。
Posted by 関東むじな男 at 2007.11.03 09:32 | edit
追伸 むじな男様、敬省略になり失礼致しました。
Posted by 小犬 at 2007.11.03 17:02 | edit
小犬様おつかれさまです。
メールの表題が、あまりに破廉恥だったり、いかがわしい物ですと、スパムとして跳ねられますので、その点御留意ください。
宜しくお願いします。
なかおか
Posted by なかおか at 2007.11.03 23:53 | edit
むじな男様。
ありがとうございます。
なかおかです。
えーっと、高島のソフトな石にもよくよく本鳴滝何とかカントカと書いてあるのを目にします。
800年の伝統のもつ嗜好的銘を冠する物の威力です。
その事が大いにあるため、真の鳴滝を捜し求めていらっしゃる方々にとって、とても申し訳が立ちませんので引き受けさせていただくという形を考えております。
なんでも本山・なんでも鳴滝か?と良く怒号を耳にします。
根本的に、現場で採掘等にあたっていた職人さんが目の当たりにし、思い感じてきた事を一番に信じて行きたいと思います。
幸い、未だ未曾有の資料や16代である先代親方が、非常に文才と研究心を併せ持った方でしたので、日記等残されております。
16代は鳴滝の音戸山をくまなく探索しましたが、量が細く大きく採算割れして、とても苦労なさったようです。
数ある資料の中で、伊予砥の採掘間府が何箇所かあって、私が執心している間府も載っていたので、一安心いたしました。
長い歴史と伝統の中で培われてきた興味深い逸話や情報が途絶えぬよう日々、お勉強です。
宜しくお願いします。なかおか
Posted by なかおか at 2007.11.04 00:31 | edit
お世話になります、小犬です。
私の書き込みのど部分が怪しげでしたのでしょうか?参考まで・・・
ノンタイトルであることでしょうか?
Posted by 小犬 at 2007.11.04 11:12 | edit
こいぬさま
こんにちは。
単に、「迷惑めーるから・・・」に対する回答です。
おきになさらぬようねがいます。
なかおか
Posted by なかおか at 2007.11.04 12:06 | edit